MadMoon〜月は私を狂わせる〜

第11話

 

 ケビンは胸元を押さえた。心臓の鼓動が爆発してしまいそうなくらい早い。頭がひどく痛む。喉が焼けるように熱い。目頭がチリチリしている。息をするのが苦しい……
 それは、ケビンの知りたかった真実。
だが、目を背けたかったこと。それが今、現実となってケビンの目の前に舞い降りてきた。決して受け入れたくない、だが、受け入れなければならない事実。

 今、あの男は何と言っていた?
 自分が、元は人間だと?
 吸血鬼に噛まれて生き残った人間の末路だと?
 あぁ、そうか。だからなのか。
 あの男が、人間と区別のつかない容姿を持っているのは。
 吸血鬼の全ての弱点に抵抗を持っているのは。
 ……いや、今はそんなことはどうでもいい。
 あいつが吸血鬼に襲われた人間の末路。
 最近自分がおかしくなったと思ったこと。
それが全て、あの男と言っていたことと一致するではないか?
では、俺は一体どうなってしまうのだ?
 俺も吸血鬼になってしまうのか!?
 この男と同じ道を歩んでしまうのか!?
 ……俺は、姉さんをどうしたいんだ?
 どうしたいんだ!?

「やぁ、ミッシ。来てくれたんだね」
 男の声が、一瞬ケビンには聞こえなかった。だが、何かを思い出したかのように我に返り、ケビンは慌てて男の視線を追う。その先にいたのは……
「姉……さん……」
 震える声でケビンはそう呟いた。
 わからなかった。
 姉にどんな顔をすればいいのかわからなかった。
 あの事実を知らされ、それでも姉に笑顔を向けられるほどケビンは強くなかった。
 姉の思いも同じなのだろうか、両手を力なくだらんと落とし、顔面を蒼白させて絶望に満ちた表情を浮かべている。
自分も、こんな顔をしているのか? こんな、生きる気力を無くした、死人のような顔を。
 いつも強がっているけど、本当は人一倍脆く、人一倍寂しがりやな姉。いつも自分を守ってくれていた姉。自分にだけは、笑顔を絶やさないでいてくれた、愛する異父姉……
 自分は一体どうすればいいのだ? そんな思いとは裏腹に、拳を握り締め、足で地をしっかりと踏みつけ、姉のほうに向き直っている自分に気がつく。
ケビンは大きく手を広げた。そんなケビンを見て男は笑みを浮かべ、白い手を片方だけ前に差し出した。いつのまにか、空は朱色を帯び始めていた。
 ミシェルは顔を紙のように白くさせたまま、呆然と二人を見比べた。自分に手を差し伸べてくれている弟と父。
ミシェルは困惑した。自分は、どちらに行けばいいのだ? 自分が行くべき場所は、どちらなのだ……?
このまま、自分は弟の所に帰ってもいいのだろうか? もう弟から血を飲むことはできない。だが、血を飲まないと確実にミシェルの体は衰えてしまうだろう。
だからと言って、吸血鬼になりたいとは毛頭も思わなかった。弟を吸血鬼にしてしまうのなら……自分が、吸血鬼になってしまうのなら……
「姉さん!」
 その時、今にも押し潰されて消えてしまいそうな姉に、ケビンが呼びかけた。張りのある、とてもハッキリとした声。ミシェルはこの声が大好きだった。
 もう、両手を広げているケビンの顔に迷いなどは一切なかった。あんな重大なことを聞かされたというのに、とても清々しい笑顔を浮かべ、自分に微笑みかけてくれている。
ミシェルは目頭が熱くなるのを感じた。そして、大地を蹴った。
 一歩、二歩、三歩。
走っていくにつれて、ミシェルは体が軽くなるのを感じた。
自然と、自分の体が浮かんでいることに気がつく。服を突き破り、背中から出たのは真っ黒な翼。
初めてこの蝙蝠のような翼を見たとき、ミシェルは一晩中泣いていた。この翼が、自分が吸血鬼であるということを象徴しているようで、いつも人前では隠していた。

 ……そう、あれは弟に自分が吸血鬼であると明かした時。
ミシェルは、姉が吸血鬼だと言われて困惑する弟の前にこの翼を広げた。人前で翼を出すのは何年か振りだった。
 これで、自分も弟を嫌ってくれる。
自分に興味を示した人間がいつも酷い目に合っているのをミシェルは知っていた。だから、弟にはそんな目に合ってほしくないと思っていた。
大好きな人が酷い目に合うのを見るくらいなら、いっそ嫌われていたほうが幾分かましだった。
 醜く、卑しい、吸血鬼の証。ミシェルは人前で裸にされるより恥ずかしい思いで一杯になり、このまま弟の前から逃げ出してしまいそうになった。
泣きたくなってしまい、弟に背を向けた、その時だった。
(……かわいい……)
 背中越しに聞こえてきた、弟の声。ミシェルは己の耳を疑った。
 つん、と翼が引っ張られた。見ると、弟が小さな手を伸ばして自分の翼に触れていたのだ。
その物珍しそうに翼を触れた手付き。今まで何人もの人間がこうして翼に触れてきたが、ケビンのように頬を紅潮させて、幸せそうに翼に触れた人間にミシェルは会ったことがなかった。
 姉の視線に気がついたのか、ケビンは顔をあげた。ミシェルの今にも泣き出してしまいそうな顔を見て、ニカッと笑う。子供らしい、無邪気な笑み。
 ミシェルは両腕を広げ、力強くケビンを抱きしめた。
(姉さん、苦しいよ……)
 自分の腕の中でもがくケビンを決して離すまいと、涙を流しながらミシェルは力強くケビンを抱いた。やがてケビンも、すすり泣く姉を慰めるようにその背に手を回した。
 誰かを愛しいと思ったのは、これが初めてだった。

 迷いなどなかった。
 ミシェルは飛んだ。
 自分の愛する……自分を愛してくれる、人の元へ。


 自分の両腕の中に収まってしまうくらい小さな姉の体を、ケビンはしっかりと抱きとめた。
 翼を痛めてしまわないよう、ゆっくりとその背に手を回す。ミシェルもしっかりと、ケビンの首に手を回した。
 それだけで充分だった。
 もう、二人の間に言葉はいらなかった。
 そのままの姿勢で、二人は抱き合った。
 無言の間に交わされた、永遠への誓約。
 それはまるで、神聖な儀式のようで……
 この日二人は、何が起こっても共に行き続けることを誓った。


「……ミッシ。君はそちらの世界を取るのだね」
 男はやり場のなくなった手を下ろし、ぽつりとそう呟いた。
ミシェルはケビンの腕から降り、キッと男を睨み付ける。
「私はあなたと共に行きません。ケビンと共に生きていきます」
「そう、か……」
 ふっ、と男の顔が陰る。
その表情は、今まで男が見せた中で一番人間じみていた。
それが、まるで親が子を心配しているような表情に見えて、ケビンは思わずドキリとしてしまう。
「でも……」
 次に顔を上げた時、男の顔はいつものあの笑みになっていた。先ほどのは見間違いだったのだろうか。ケビンは目を瞬かせた。
「いつか君は私を必要とする時が来るよ」
「そんな日は来ません。……いえ、来させません」
 ハッキリと、そう断言する。
 そうだ。もう私に怖いものはないのだ。もう、何も恐れなくていいのだ。
「フフフ……まぁ今はいいだろう。今だけは二人きりにしておいてあげるよ、ミシェル(・・・・)……」
 男は半歩後ろに下がった。
すぐに男の姿は闇に溶け込んでしまい、そのまま姿が見えなくなってしまう。ケビンは慌てて後を追いかけようとする。が、それをミシェルが制した。
驚いた顔で自分の顔を見つめるケビンに、ミシェルは首を左右に振る。
(次に会う時は、その血をもっといただくからね……)
 それは、ミシェルの耳にだけ聞こえた言葉。ミシェルは俯き加減に弟の顔を覗き見た。
ずっと前の闇を見つめている弟の顔は、いつもより頼もしく、そして、愛しく思えた。
 ミシェルはそっとケビンの腕に自分の腕を絡ませる。ケビンは顔を真っ赤にしながらそんな姉を見る。ミシェルは意地悪そうに微笑んでみせた。
 もうすでに日は沈みきっていて、辺りには静寂だけが訪れている。
 ミシェルはふと、空を見上げてみた。
 冷え切った夜空に神々しく輝く大きな黄金の月。
月は、昨日と変わらぬその姿でミシェルを見下ろしている。だが……
「…………」
 ミシェルは無言のまましっかりと月を見上げた。
 父と同じ金色の輝きを放つ、その月。ミシェルは月を見ながら柔らかく微笑んだ。
 もう、月は怖くない。

 

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