MadMoon〜月は私を狂わせる〜

第9話

 

 ケビンは宿に着いた後、ベッドに座ったままぽっかりと空いた隣のベッドを見つめていた。そこは、先日姉が眠っていた場所。
 虫の知らせ……そう言えば聞こえはいいだろう。ケビンは一度宿屋に帰りかけたとき、突然背中に悪寒が走るのを感じた。
妙な胸騒ぎが襲うので、慌てて道を引き返したのだ。
 そして、あの男に会った。
 一目見てそれが姉の実の父だと理解できた。それほどにまで、二人は似ていたのだ。顔が似ているのではない。いや、もちろん顔も似ていたのだが、それより二人の放つ雰囲気が驚くほどそっくりだったのだ。
 だからかもしれない。
 俺は、迷うことなく男に銃を撃った。
 銃が男に当たると、何だか姉に銃を撃ったような気分になり、自然と口元に笑みが浮かんだ。
次の瞬間に男が背後に回ってきた時も、背筋が凍るのと同時にこれまでにない快楽を味わったような気がした。
 ……わからない……いつから自分は、こんなに変わってしまったのか……
 ケビンはそっと窓から月を見上げた。あの男の瞳も、この月のような金色だった。その直前は、姉と同じ赤い色だったが……
 ケビンはそっと首筋に触れてみた。
自分では極力、触れぬようにしていた箇所。あの男に触れられた時から、妙にこの傷痕が疼きだしたのだ。
それが一体何を意味するのか、この頃のケビンには知る由もなかった。
 ただ、これだけはわかっていた。
 あの時、道を引き返したのは姉の危機を悟ったからなどではない。
『吸血鬼の気配を感じ取るとね、なんだか背中に寒気が走るの』
と、姉が昔言っていたことを思い出した。
自分も今日、妙な寒気を感じた。……ひょっとしたら、これとそれは同じものではないのだろうか……?
俺が、姉をこの手にかけたいと思い出したのも、その影響なのでは……
 ケビンは全てを否定するかのように激しく頭を振った。いや、そんなことはない。だって俺は人間だ。
 だが、その時一つの疑問が頭を過ぎった。
吸血鬼に血を吸われた人間は、体内の血を全て失ってしまい、そのまま干からびて死んでしまう。それが普通のことだ。今までに異例はない。
 ……だが、死ななかった人間はどうなるのだ? 途中で吸血鬼の手から逃れた人間はどうなるのだ?
 そんなこと、聞いたこともなければ考えたこともなかった。
そう、だって、その人間の末路の見本は、今ここにいるのだから……
「…………」
 ケビンは無言のまま右手首を見つめた。姉が巻いてくれた赤いチェックのハンカチ。それを無意識の内にほどき、現れた二つの傷穴を食い入るように見つめた。
そのまま、その手で首筋を押さえる。熱を帯び始めた傷痕がまたチクリと痛んだような気がした。
 ふと、姉のことを思い出す。
 十年前から時を止めてしまった姉の体。産まれた時からずっと隣に立っていてくれた姉。吸血鬼だとわかっても、その気持ちが変わることはなかった。
 そう、自分にとって、姉は全てだった。姉がいるから、自分も生きてこられたのだと断言できる。
 だから最近思うのだ。もし、姉が居なくなったら自分はどうなってしまうのだ? と。姉がいるから生きていられるという自分に、姉が居なくなってしまったらどうなるのだ?
 すっ、とそんな考えが頭を過ぎる。
 だからかもしれない。自分がこんなにもおかしくなってしまったのは……
 ケビンは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。自分のことをこんなに歯痒く思ったのは始めてだった。……俺は、一体姉をどうしてしまいたいのだ……?
 もう一度、傷痕に触れてみる。
もう、痛みは感じなかった。


 次の日、太陽が空高く昇った頃ミシェルは目覚めた。看護婦に聞いてみると、どうやらケビンは一度ここを訪れた後、すぐに街に出て行ってしまったらしい。
看護婦達の奇異の視線に気圧されながら、ミシェルは素早く仕事着に着替えて病院を後にした。
外は晴れていたが、冬の気温が肌を刺す。ミシェルは身震いを一つしてから、コートの内側につけられているポケットに手を伸ばした。
あまりかけたくないのだが……。心の中でそう思うが、そのポケットからサングラスを取り出す。日差しにはあまり強くないので、仕方なくサングラスをかける。こうしないとケビンがうるさいのだ。
だが、昨日のミシェルの行動は目立ちすぎていた。街の人々はミシェルの周囲を避けて道を作る。ケビンを見かけなかったか? と聞きたかったのだが、どうやらそれができそうにない。
困り果ててしまい、これからどうしようかとミシェルが悩んでいた時だった。
「ミシェルー!」
 この緊迫した場にそぐわない、底抜けに明るい声が背後から聞こえてくる。
ミシェルは後ろを向いた。声の主はわかっているので、自然と笑顔が作れる。
「エマ……」
 息を切らして駆け寄る少女にミシェルは声を掛けた。
頭の両端に括った黒髪、厚手のデニムのワンピースに若草色のマフラーを巻いた少女……エマは、ミシェルの前に立つと両手を膝についてはぁはぁと呼吸を整える。
ぱっと上げた顔は真っ赤で、浮かべられた笑顔はおもちゃを与えられた子供のようにきらきらと輝いていた。
「大丈夫? 昨日倒れたって聞いてビックリしたんだよぉ」
「うん。心配かけてごめんね」
 二人が笑顔で会話するのを見て、街の人達の視線が今度はエマにも向けられる。
その視線に気づいたミシェルは眉根を寄せる。
「ん? どうしたの?」
「あ……その……」
 ミシェルは申し訳なさそうに手を口元に持ってゆく。
真っ白な息が二人の間に流れ、消えていった。
「私なんかと一緒にいて……大丈夫? 周りのこと、もう少し気にした方がいいと思うんだけど……」
 恐る恐る、エマの顔を見上げる。
エマは何のことかわからず目を真ん丸くさせていた。
「だから……吸血鬼なんかと一緒にいたら、街の人から冷たくされるかもしれないじゃない……それが心配で……」
「どうしてそんなこと言うの?」
 段々と小さくなり、聞き取りにくくなってゆくミシェルの声にエマは敏感に反応した。
「私は何も悪いことなんてしてないよ? そうでしょう?」
 エマは腰に手を当てる。ミシェルは顔を伏せた。
「そうだけど……」
 ミシェルはエマの顔を見ることができなかった。
みんな……ミシェルの友達になってくれそうな人間はみんな、最初は今のエマのようなことを言う。
だが、みんな途中で離れてゆくのだ。口では強く言えても、実際にその扱いに耐えられる人間などいないのだ。
人から奇異の目で見られ、蔑まれ、時には暴力を振るわれる。そんなことに耐えてまでミシェルと友達で居たいと思う人間などいないのだ。
今までミシェルに寄ってきた人間はたくさんいる。だが、長続きしている人間はほんの一握りしかいない。
その長続きしている人間も、今でも周りの人間から冷たい視線を浴びせられている。だからミシェルはできるだけ特定の人間と仲良くなりたいとはあまり思わなかった。
その人が傷つくのを見たくないし、仲良くなった人が自分の前から離れてゆく寂しさを、誰よりも知っているから。
「ねぇ、ケビン見なかった?」
 早くこの場から離れたいと思う衝動に駆られ、ミシェルは顔を上げた。
「ケビン? 確かさっきギルドに行ったみたいだけど……」
「そう……。ありがとう、行ってみる。じゃあ、急ぐから」
 そう言うや否や、ミシェルはエマに背を向け、一目散にその場から走り去った。
「あ、ちょっとミシェル!」
 エマの声が響く。が、ミシェルは振り向かなかった。
 一つ目の角を曲がり、立ち止まる。これでいいのだ。と言う自分と、これではいけない。と言う自分がいる。
ミシェルは、全ての思いを吹っ切るかのように走り出した。
 ……いや、これでいいのだ……
 そう、自分に言い聞かせながら……


「吸血鬼に噛まれて生き延びた人間がいないか、だぁ?」
 煙草の煙と酒の臭いが充満しているディトールギルド。
そこにケビンはいた。分厚い眼鏡を掛けて書類整理をしているギルドのアルバイトらしき若い男に声をかけている。
「あぁ、そうだ。何でもいいからわかることがあれば教えてほしい」
 男は分厚い眼鏡を少しだけ上にあげ、ケビンの表情を読み取るように覗き見る。
この男も昨日あの広場にいたのだろう。その視線には、好奇心と不信感が入り混じっていた。
 しばらくして男は溜め息をつき、戸棚から一冊の分厚い赤いファイルをケビンに差し出した。
「過去二十年の吸血鬼事件の記事をスクラップしたものだ。……ここに載ってないことを聞かれても俺にはわからないから」
「ありがとう」
 素直に例を言い、ケビンはファイルを受け取る。
「でも、俺は吸血鬼に襲われて助かった人間なんて聞いたことがないけどな」
 そう言い残し、男はさっさと自分の持ち場に戻ってしまった。ケビンはファイルを握り締め、
 いるんだよ、ここに。
 胸中でそう呟く。ケビンは煙草の煙から逃れるかのように窓際に置かれているテーブルに腰掛け、ファイルの一ページ目をぱらりと捲る。
途端に、『一家五人殺害!』という文字が飛び込んできた。
しかしこんな事件は珍しくも何ともない。ケビンは一文も読まずに次のページを捲った。しかし、捲っても捲っても目に入るのは似たような記事ばかり。
大小は異なるが、その記事の全てに『殺害』の文字が書かれていた。
 半分ほどまで記事を流し読みし、やはり生き残った者などいないのか?
頬杖をテーブルにつき、半ば諦めかけていたその時だった。適当にファイルをパラパラと捲っていたケビンの目に『生』の文字が横切った。
ケビンは慌ててファイルを捲る指を止める。急いでページを戻し、問題のページを探す。そして、とあるページを捲った途端、ケビンの指が止まった。ごくりと、唾を飲む音が聞こえる。
「生還……」
 小さく声に出し、その記事を読み上げてみる。
新聞の片隅に載せられていたようなとても小さな記事だった。その記事にはこう書かれてある。
 今から十三年前、吸血鬼退治に出かけた三人の狩人が、吸血鬼の現れると言う屋敷に乗り込んで行った。
だが、三日経っても狩人は戻ってこない。心配した村の人達が捜索をしようと試みるが、ある日一人の狩人が全身を血に染めて村に戻ってきたという。村人は残りの二人はどうしたのかと尋ねたが、その狩人曰く、吸血鬼に殺されてしまったらしい。その男は吸血鬼の攻撃から逃れ、一人生還してきた。そんな記事だった。
「違うか……」
 吸血鬼に襲われていないのなら話にならない。こんな物を記事にするなんて、この日は余程他に載せるような大事件がなかったのだな。
ケビンは舌打ちをしてファイルを閉じようとした。が、
「……ん?」
 その記事の隣に、それより小さい記事がスクラップされているのを見つける。
ケビンは再びファイルを開いた。それは先ほどの記事より半年も経ったあとの物だった。何を今更……。そう思いながらも、ケビンはその記事を読み始める。
最初は面倒くさそうに読んでいたケビンだったが、その記事の内容を読んでいくにつれ、顔が強張っていった。
『吸血鬼館から生還した男・行方不明に』
 それは、ケビンの目を引くには充分過ぎるほど簡潔に書かれていた。
『先日未明・半年前に吸血鬼館から一人生還した狩人のマックス・キリアル氏が突然、謎の失踪を遂げた』
 額の汗が頬を伝った。続きを読もうと身を乗り出した、その時だった。
「!」
 ケビンは、背筋に悪寒が走るのを感じた。慌てて辺りを振り返ってみるが、誰もケビンの方などは見ていない。
気のせいか……? そう思い、椅子に座りなおそうとする。が、次の瞬間、後頭部を鈍器で強く殴られたような激しい痛みを受ける。ケビンは思わずその場に倒れそうになってしまう。
(後ろ!?)
 後頭部を押さえながら、後ろ――窓の向こう側を見る。その瞬間、ケビンはその場に凍り付いてしまう。
 たくさんの人が行き交っているその中に、あの男はいた。
 昨晩と全く同じ服装で、薄い唇に弧を描き、あの月の瞳を細め、男はケビンの瞳を覗き込むように見つめていた。
 通りすぎる人々は、誰も男の方を振りかえらない。むしろ、あの男が見えていないかのように、時折男に肩をぶつけて通り過ぎている。
……そして気がついた。そう、男はあそこに存在していないのだ、と。
よく見てみると、男の足元は半分透けていた。そして、男にぶつかっていく人々は、男の体を通りぬけていたのだ。その時、男の唇が微かに開いた。
ケビンのいる場所から男の立っている所まではかなりの距離があるのに、ケビンには男の唇の動きをはっきりと読み取ることができた。
(シリタイカイ?)
 男はそう呟いていた。
他人を馬鹿にしているような笑みを浮かべ、遠くからケビンを見下ろしていた。スーツの中のシャツがじわりと濡れるのを、ケビンは感じる。その時、男が動き出した。
ケビンを横目にちらりと見やりながら、くるりと優雅に身を翻す。そして、街の人々の中に溶け込む様にその姿を消していった。後ろで結われた金の尾だけが、その男の存在を主張するかのように軌跡を残している。ケビンは拳を強く握り締めた。
 無意識の内に、ケビンは走り出していた。ファイルのことも忘れ、姉のことすら忘れ、無我夢中で男の後を追っていった。
(知りたいかい?)
 男は確かにそう言っていた。何を知りたいのか、何を教えてもらいたいのか。ケビン自身にもよくわからなかった。わからないことが多すぎたのだ。
だから、その答えを追い求めるかのように……
 男の姿を見失ってしまい、ケビンは息を切らしながら辺りを見まわした。
と、金の尾っぽが人気の無い建物の角に消えてゆくのが見えた。ケビンはそちらに向かって再び走り出した。
「あれ? ケビン?」
 ものすごい勢いで自分の隣を通り過ぎた男の顔を見て、ミシェルは後ろを振り向いた。どうやら向こうはこちらに気づいていない様子だったが、あれは確かにケビンだった。
あんなに急いで、一体何を追いかけていると言うのだ?
「…………」
 ほんの少し考えた後、ミシェルは踵を返した。急いで、ケビンの後を追いかける。
 その瞬間、背筋に悪寒が走った。

 

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