MadMoon〜月は私を狂わせる〜

第3話

 

「なぁ、知ってるか?」
 飲みかけの酒瓶をテーブルにどんと置き、男が袖で口を拭いた。向かいに座っていた男が酒を呷りながら尋ねる。
「何をだ?」
「今回も、あの二人が動くらしいぜ」
「あの二人って……」
 男は聞きかけ、口を噤んだ。
この街で言う『あの二人』とは、一組しかいない。と、その時、重い扉が開かれる音がする。
「お、噂をすれば何とやら。ケビン様のお出ましだぜ」
 協会の扉を閉めた途端に、そんな罵声が耳に届く。だが、ケビンはそちらをちらりと一瞥しただけで、すぐに視線を元の方向に戻した。こういう奴らは、相手をするだけ時間の無駄だ。そう悟っている。
「自分一人だけの力じゃ何もできないくせになぁ〜」
「本当に悪魔みたいなヤツだぜ」
「普通女の力を借りるか? そうしてまで目立ちたいのかねぇ」
 協会の中はぼんやりとしか明かりが灯っておらず、テーブルもいくつか置かれていて自由に酒を飲んでもいいようになっているので、まるでそこは酒場のような雰囲気になっていた。
真っ昼間から空の酒瓶を持って赤い顔をしながらケビンに食い掛かってきているのは、ケビンもこの協会に来る度に見ている男達の顔であった。
胸に同じ銀細工のネックレスがあるが、こいつらは本気で狩人をしたいわけではない。一年間の安息を求めて狩人に志願しているのだ。一年後のことなど、この男達は欠片も考えていない。
 ケビンはそのまますぐに歩き出す。一〇メートルほど先に、鉄格子の嵌められたカウンターがある。
「おいおい無視かよ。人生の大先輩達に向かってよぉ」
「そりゃあ高貴な吸血鬼の仲間だからなぁ。下等な人間なんかとは話をしたがらないんだよ」
「そりゃ違いねぇ!」
 下品な声で笑う男たちを無視し、ケビンはカウンターに近づいた。そこには人間が顔を出し入れできる程度に繰りぬかれた穴がある。穴にはガラスがピッタリと嵌まっていて、真ん中に小さな穴が三つ空いていた。
ケビンはその穴に向かって声を掛ける。
「……ケビン・レイヤーだ」
 自分の名前を告げると、しばらく間があってからガラスがパカッと外れる。内側からだけ取ることのできる仕組みになっているらしい。そこからぬっと三十代後半ほどの髭面の男が顔を出す。男はケビンの顔を確認し、大きく頷いた。
「ちゃんと来てくれたんだな」
 少ししわがれた声でそう呟く。その少し煙草臭い息にケビンは眉根を寄せる。
「……で、何の用だ? ギルド側が個人的に俺に依頼をするなんて珍しいんじゃないのか?」
 ケビンはさっさと本題を切り出すことにした。
 今日、ここに来たのは今朝方、ギルドで仕事をしている男から呼び出されたからだ。実力のある狩人は、こうやって個人的に呼び出されて仕事を頼まれることは決して珍しくはないのだが、何しろケビンは事情が事情である。好んで仕事を頼む者など滅多にいなかった。
 緊急の事態を、除いては。
 呼び出しを受けた時、正直ケビンは断りたくなった。まだ仕事内容を聞いていないにしろ、こんな風に個人的呼び出しをかけられた時の内容は大抵決まっている。髭面の男は煙草の煙を吐き出しながら呟いた。
「隣街のディトールで吸血鬼が現れたそうだ。しかも厄介なことにまだ誰もその姿を目撃していない。だが吸血鬼の仕業と言うことは確かなんだ。もう犠牲者の数も半端じゃない。……お前に頼もうと思うんだが、行ってくれるか?」
 やっぱりな。ケビンは呆れたように苦笑した。自分にお呼びがかかるのは、他の狩人には手に負えないような大仕事ばかりだ。自分が頼りにされている、と言えば聞こえはいいが、これは遠回しに『お前とミシェルとで行け』と言っているのだ。
『お前達は死んでも構わないから』ということだ。ケビンもミシェルも、そのことはよく理解していた。
 吸血鬼は狩人にはなれないだのと言っている割には、こいつらはいつも最後に姉さんを切り札に使う。ケビンはギリッと下唇を噛んだが、吐きかけた言葉をぐっと飲み込む。代わりに、言いたくもない言葉を吐き出す。
「わかったよ、引き受ける……」
 ケビンはこんな仕事を本当は引き受けたくなかった。姉を捨て駒みたいに使うこの協会の人間たちが許せなかった。
 だが、姉が望むのだ。自分に頼まれた仕事はどんなものでも引き受けろ、と。例え自分が操られているとわかっていても、それが誰かのためになることなら私は喜んで出かける、と。だから、ケビンはそんな姉の望み通り仕事を引き受けていた。それほど、ケビンの中でミシェルの存在は絶対なのだ。
そんなケビンの心情を察するはずもなく、男は一枚の紙を彼に手渡した。
「詳しい事はここに全部書いてある。準備が出来次第出かけてくれ。……ま、頑張ることだな」
 その言葉には、明らかにどうでもいい。という感情が込められていた。吸血鬼を仕留めてくれたらそれでいいに越したことはないが、別にお前達が死んでも誰も悲しみはしないのだ。そう、顔に書かれていた。
ケビンは紙切れを乱暴に受け取り、上着のポケットの中に入れる。
 もう、用事は全て終わった。後はここを出て、姉を迎えに行って隣町に行く準備を整えればいい。こんな場所は早く出ていきたい。そう思っていた時であった。
「うわ〜! この街のギルドもすごく臭い! どのギルドも一緒なんだから〜!」
 ギルドの扉が勢いよくバン! と開かれるのと同時に、この場にそぐわないあっけらかんとした声が突き抜ける。ギルドにいた誰もがその声のほうに目を向けた。
「ヤダ〜! 薄暗いしお酒臭いし煙草臭いし最低〜!」
 そこにいたのは、黒髪を頭の両端に括ったハイネックのセーターを着込んだ少女であった。大きめのセ―ターの袖から指だけを出し、右手で軽く鼻を摘み、左手で顔の前をパタパタと煽る。その眉間には皺が寄っていた。くりくりとした瞳から察するに、なかなかの美少女である。
 その突然の少女の来訪に、酒瓶を持った男達は誰の目から見ても下心があるとしか思えないほどの笑みを浮かべていた。
「よぉねーちゃん! こんな所に何しに来たんだよ!」
「俺達と酒でも飲まねぇか!」
 ピーピーと指笛まで吹き出す奴も出てきた。男達は大声で笑いながら少女を頭からつま先まで舐め回すように観察していた。
セーターで隠されていてよく見えないが、膨らみのある胸に張りのある腿、スラッと伸びた足は、見るものを釘付けにしてしまうくらいしなやかだった。
「私、お酒なんか飲みに来たんじゃありません」
 男達の誘いに少女はサクラ色の唇を尖らせ、ズンズンとカウンターの方に歩み寄る。ケビンはその気迫に思わず一歩下がって道を譲ってしまった。少女はカウンターにドン! と手を叩きつける。
その時、少女の首にかかっていたネックレスが胸元でシャランと音を鳴らした。ここにいる者全員がつけている、銀細工のネックレス。
 十七、八歳ほどにしか見えないこの少女。だが、狩人の資格を得ているということは、二十歳以上なのは確かだろう。だが、こんなに若い女が狩人になるなど……。ケビンがそんなことを考えていた時だった。
「隣町から来たエマ・ハウエルです」
 そう言って、少女……エマは首のネックレスを指で摘んで掲げる。
「今度私の街に来てくださるという方を迎えに来たんですけど」
「迎えに……?」
 最初にエマの言葉に反応したのはケビンだった。その声を聞き、エマはピクッと片眉を動かす。
「あぁ、さっきその事を話したばかりだよ。アンタの隣にいる男を派遣することにしたから」
 カウンターの中の男がそう言うと、エマは首をぐるりと回してケビンの方を見た。頭の上で結われた髪がふわりと揺れる。
「……あなたが?」
 上目遣いにケビンの顔を覗き込むその瞳には、明らかに不審の色が浮かんでいる。
「そうだけど……あんたは隣町の奴なのか?」
 ケビンが淡々と呟くと、エマは突然目の色を変えてニカッと笑い、満足そうに腰に手を当てた。そんな仕草が彼女をますます子供っぽく見せる。
「そうよ。この街で一、二を争うほどの凄腕の狩人だって聞いたからどんな屈強なオッサンが顔を出すのかと思ったんだけど……。あなたみたいに若い人で良かった! 折角だったらやっぱりかっこいい人の案内がいいもんね」
 これみよがしに高らかな声をあげ、エマは胸の前で両手の指を絡ませた。その頬にはほんのりと朱に染まっている。しかし、エマの声を聞いた酒飲みの男達は逆にピキピキと額に血管を浮かばせた。
「さ、善は急げよ! さっそく出かけましょうよ!」
 そう言うと、エマは細い腕をぎゅっとケビンの腕に回す。かと思うと、力強くケビンを引きずって、扉へと向かって歩きだそうとした。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 ギルドにいる人間全員の視線が集中する中、ケビンは慌ててエマの腕を振り払う。エマはびっくりしたような顔をした。
「どうしたの?」
「引っ張られなくても自分で歩けるよ……」
 大きく息を吐いてから頬を少しだけ赤く染め、エマに引っ張られて着崩れてしまった背広を着直す。溜息を一つ吐いて、足早にエマの前を歩き出した。その背中を、エマは口元に笑みを浮かべて見つめていた。
「……どうした? 行かないのか?」
 扉を開けて自分を促すケビンの声を聞き、エマは白い歯を見せてニッと笑った。それはまるで、宝物を見つけた子供のような笑顔だった。
「OK! それじゃあ行きましょう!」
 二人が外に出て、扉がバタンと閉められるのを、ギルド内の人間は呆然と眺めていた。二人が出ていった途端、静かな空気が再び流れ出す。
「……あいつも、あの姉以外にあんな顔ができるんだなぁ」
 先ほどの、ケビンの少し照れたような表情。あんな顔を、このギルドにいる人間達は誰も見たことがなかった。
 誰かが小さく呟いた時、ギルド内の男達は一斉にして大きく頷いた。


「今月に入って、もう十五人も吸血鬼にやられてるの……」
「十五……?」
 そう言われ、ケビンはさすがに動揺を隠すことができなかった。隣街に吸血鬼が何人いるのかはわからないが、余りにも多すぎるのだ。
「それも一人の吸血鬼になんだよ……だから早く対処したいんだけど……」
 いつのまにか雪の降り始めた街中をケビンとエマは並んで歩いていた。端から見たら恋人同士とも思われるような二人。しかも、ケビンもエマも端正な顔つきをしているため、見る者全てが振り返ってしまうような美しい光景であった。
 だが、この街の者はそれとは違った意味で二人を振り返る。その顔は青ざめ、通りすぎる人々は皆が皆、口々に何かを囁きあっている。ただならぬ視線に気づいたエマが、さっと後ろを振り返ってみる。だが、通行人はすぐにエマから視線を逸らしてそそくさと道を急ぎ始めた。
「……?」
 頭にハテナマークを浮かべ、エマは唇に指を立てる。
「……なんだか、みんなの視線が冷たくない?」
 前を歩くケビンの背広を軽く引っ張りながらエマが呟く。しかしケビンはしれっとした態度でそれに答えた。
「俺達が嫌われてるからだろ」
「え、私も?」
 自分を指差しながらエマは眉間に皺を寄せる。『俺達』と複数形で言われたので、それを自分のことだと思ったのだろう。そのエマの仕草を見てケビンは付け加える。
「違うよ。俺と姉さんのことだ」
「え? あなたお姉さんがいるの?」
「まぁな……」
「お姉さんもあなたみたいな冷たい性格なの? 顔は似てる?」
「……冷たいってどういう意味だよ……。まぁ、顔も性格も全然似てないよ。父親が違うからな」
「へぇ、そうなんだ。で、どうしてあなたとお姉さんが嫌われてるの?」
 遠慮を知らない女だな……。普通、父親が違うと言った時点で言葉を詰まらせるものだぞ? ケビンは横目でエマを見ながらそう思った。だが、遠慮がちに聞かれたりするよりは随分と気分がいい。
「……お前、何も知らないのか?」
「ん? 何が?」
 頭の両端に垂らした髪を揺らしながら小首をかしげる。
どうやら、この女は本当に知らないようだ。隣街にいるはずなのに、噂で聞いたこともないのか? ……自分達が、街の人に嫌われている理由を。
「……俺の姉さんが……」
 ケビンがそう言いかけた時であった。あ、と口を開いたまま歩みを止める。いつの間にか、ミシェルとの待ち合わせの噴水に着いていたのだ。
噴水の前に、両手に息を吹きかけている赤いコートの少女を確認する。少女……ミシェルは、ケビンの存在に気がつくと大きく手を振り回した。ケビンもそれに軽く手を上げて答える。その時だった。
「あ! さっきの吸血鬼!」
 突然、隣のエマがものすごい剣幕でミシェルを睨み付けたのだ。
「今度こそ私が退治してやる!」
「ちょ、ちょっと待て!」
 今にも駆け出してしまいそうなエマの腕を、ケビンが慌てて掴む。エマはビックリしてケビンを振り返った。
「邪魔しないでよ!」
「あの子は敵じゃない!」
 そうケビンに一喝され、エマはビクッと体を震わせる。
「……どうしたの? ケビン」
 きょとんとした顔で、ミシェルがケビンとエマのところまで駆け寄った。
「あ、あなたはさっきの……」
 弟の隣に立っている少女の顔を確認すると、あんぐりと開けた口に手を当ててミシェルはエマを指差す。
「……知り合い?」
「んー……さっきちょっと……ね」
 そのミシェルの苦笑いから、ケビンは全てを察した。どうやら、自分に会う前にエマは一度ミシェルに攻撃を仕掛けたことがあるらしい。ケビンは大きく溜め息をついてから、エマの手を離す。エマは少しだけよろけながら体勢を整える。ケビンはエマの正面に立ち。隣に立っているミシェルをチラリと見た。
「……姉のミシェルだ」
 そうケビンに紹介され、ミシェルは慌てて頭を下げる。
「初めまして。ケビンの姉のミシェル・ミッシ・レイヤーです。弟がいつもお世話になっています」
 へ? と呟いて目を真ん丸くさせているエマを無視し、ケビンは次にミシェルの向かいに立ってエマを指差した。
「いつも、じゃないよ。今日初めて会った奴だ。これからは姉さんも世話になるヤツだから。……で、こいつは……えと……そう、エマだ。今回の仕事は隣街まで行かなきゃならないから、それのナビゲーターをしてくれるらしい」
「あ、そうなんだ。エマさん、よろしくお願いいたします」
 ミシェルはもう一度深々と頭を下げた。だが、エマはまだ口をぽかんと空けたままじっとミシェルを凝視している。
「とりあえず一旦家に戻ろうか。準備しなきゃな」
「そうね。……えっと、エマさん? エマさんも家に来ませんか? 外で待つのは寒いでしょうし」
 ミシェルに手を引かれるまま、エマはゆっくりと歩き出した。
 頭の中がグルグルと回っていて、整理がつけられない。……今、この男は何て言ったのだ?
「家に着いたらココア作ろうか。ケビンの分も」
「俺が甘い物を苦手なのを知ってて言ってるだろ?」
「嘘嘘。ケビンにはコーヒーを入れてあげるから」
 そんな、何気無い会話。自分より頭二つ分ほど背の高いケビンの腕に手を回すミシェルを見て、エマは思わずほっと溜め息を吐いてしまう。
が、ミシェルがこちらをくるりと向いた時に現実に引き戻された。
暗闇の中でもギラギラと輝いている、血のような赤い瞳。
「あ、エマさんは甘い物大丈夫ですか? ココアとコーヒー、どっちが好きですか?」
 しかし、目の前の少女は余りにも無邪気に自分に話しかけていた。
十字架もニンニクも恐れず、優しく微笑みかけてくれる吸血鬼。そんな吸血鬼がこの世にいるのだろうか?
「……あの……エマさん?」
 気がつくと、ミシェルがエマの顔を下からニュッと覗きこんでいた。その赤い目を見て、思わずエマはミシェルを突き飛ばしてしまいそうになる。
「……あ、す、好きです。ココア」
 それだけを言うのが精一杯であった。
「良かった! じゃあ早く家に行こう!」
 ミシェルに手を引かれ、エマは引きずられるようにゆっくりと歩きだす。
 そして、気がついた。
 通りすぎてゆく街の人達の、怪奇の目を。

 

第2話へ  第4話へ  戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送