第3回

 第二章 * 明日に続く道

「……イリア……?」
 目をあけると、窓から強い日の光りがさしこんできた。
 光りに慣れない目をこすりながら、ルーミスは体を起こした。
 いつもより確実に遅い目覚め……どうやら、昨日はちゃんと眠れたらしい。が、まだ体のあちこちに疲れが残っているような感じがする。
「イリア……いるの?」
 ベッドから立ちあがり、ルーミスは部屋を見まわした。しかし、誰からも返事はなかった。
 キッチンを覗いてみると、キレイに洗われたお皿が並んでいるのを見て、イリアが食事をとっていたことが予想できた。部屋にいないところを見ると、どうやら仕事に出かけたのだろう。イリアは、この部屋の下の酒場で働いているのだ。会おうと思えばいつでも会える。ルーミスは、まだダルイ体をひきずるように歩き、ドアノブに手をかけた。
 扉を閉めた瞬間、ルーミスの脳裏に昨日の惨劇がよみがえってくる。
 いつも通り、イリアと銃の撃ち合いをしていて、帰りに、男たちが襲ってきて……
 これ以上は考えたくない。本能がそう思ったが、ルーミスはぶんぶんとかぶりを振った。ダメだ。ちゃんと考えなければいけないのだ。……ちゃんと、考えなければ……
 ……ナイフを持って襲ってきた男を、イリアが………殺した………
「そう、微笑んだままで……」
 声に出して続ける。
 ぎゅっと唇を噛み締め、ルーミスは顔を上げた。
 ちゃんと、話をしなければ。
 昨日は錯乱していたが、今日はルーミスも落ちついている。きちんと、イリアと話をしなければ。昨日は助けてくれてありがとう。でも……でも………
 ……そう思い、ルーミスは気がついた。
 そう言えば、あたしはイリアの何を知っているんだろう……イリアは、あたしの何を知っているんだろう……?
 『友達』だと思っていたが、ルーミスはあまりにもイリアのことを知っていなかった。ルーミスは、あまりにもイリアに自分のことをおしえていなかった……
 ちゃんと、自分の全てをおしえなければ……ちゃんと、彼女の全てを知らなければ……
 ルーミスは苦笑して、一階へと向かった。
 階段を降りきったところで、ルーミスは酒場を見まわした。まだ昼なので、人は少ないが、いつも見なれている顔があった。どうやら、イリアとマスターは酒場の奥にいるらしく、姿が見えなかった。ルーミスはその見なれている男のところへ歩みより、机に手をつく。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 顔に垂れる髪をかきあげ、ルーミスは微笑む。男のほうも笑みを浮かべる。
「よお、ルーミス。こんな時間に珍しいじゃないか」
 男は、協会集落で働いている人間で、たまにウェポン協会にも顔を出していたし、ルーミスとすれ違いざまになることも少なくはなかった。この酒場で顔を見かけたとき、声をかけたこともあるほどだった。
「あのさ、イリア……どこにいるか知らない?」
 この酒場の常連となりつつある人間だ。名前くらいは知っているだろう。そう思い、ルーミスは尋ねた。が、
「は? イリア? ……誰だそれ?」
「え?」
 思いもしない返答を聞いて、ルーミスは微笑んだまま答えた。
「……な、なに言ってるんだよ……この酒場で働いている女の子がいるだろ? イリアって言う……」
 額に汗がにじみでるのを感じ、ルーミスは続けた。が、それでも男の答えは変わらないものだった。
「そっちこそ何言ってるんだよ。この酒場はあのマスターしかいないぜ。女の子がいるんなら、俺は毎日でもここに来るねぇ〜」
 グラスに残っている酒をあおり、男は答える。
「で、でも………」
 言いかけて、ルーミスはあることに気がついた。
 ……あたし……イリアが働いているところを見たことが………
「ない………」
 呟き、脱力する。
 朝は早く、夜は遅いルーミスだ。たまに早く帰ってこれるときは、イリアは大体お店が休みだと言って、いつも部屋でルーミスを迎えてくれている。
 ルーミスは、イリアが酒場で働いているところを見たことがない。この男もないと言っている。
 ……これも、果たして偶然なのか? いや、そんなわけがない。ほぼ毎日来ている男の目に、イリアが写っていなかっただなんて考えられない。ルーミスは確信した。イリアは、この酒場で働いてなどいないのだ……
「お、おい! ルーミス!」
 気がつけば、ルーミスは走り出していた。
 酒場を出て、スラムを出て……
 どこに行けばいいのか、どこに行こうとしているのか、ルーミスには全くわからない。
 ただ、どこかに行かなければ。そうとだけ、思っていた……
「どうしたんだよルーミス!」
 大きな声で呼びかけられて、ルーミスは我を取り戻した。気がつくと、一人の男が自分のほうへ歩み寄ってくる。
 それは、仕事場で働いている、ルーミスもよく知っている男だった。
 男と言うには、まだ早いかもしれない。ルーミスより二つくらい年上の少年だ。
「真っ青じゃないか……こんなところでなにをしているんだ? そう言えば、今日は仕事に来なかったんだな」
 少年は、大きな紙袋を抱えており、歩くたびにガチャガチャという音が聞こえたため、どうやら武器の部品の買い出しに出されたらしい。ルーミスは無理に笑顔を作ってみる。
「あ……ゴメン。ちょっと寝過ごしちゃってさ……」
 作り笑いとバレたのか、少年は大きく溜息をつく。が、なにも言わずに
「そうだ。ルーミス……なんか大変なことが起きているらしいな……」
「大変なこと?」
 オウム返しに聞き返してくるルーミスを見て、少年は頷く。
「あぁ、なんでも盗賊団がスラムを狙ってるらしいぞ」
 少年は人差し指をビシッと立てる。(意味はないと思われる)ルーミスはきょとんとした表情をしてから、小さく笑い声をあげる。
「何を今更……別にスラムを狙うやつなんて、珍しくもなんともないじゃないか?」
 スラムは、治安の悪い街だ。そんな街を襲うやつなんで珍しくもなんともない。
 だが、そんなスラムにも人は住んでいる。ルーミスもその一人だ。
今まで、いろんな盗賊団がスラムを乗っ取ろうと襲いかかってきたが、そのときだけはいつもケンカをしている人間も、手を組んで一緒に戦う事になっている。半年ほど前、同じように盗賊団が襲ってきたが、情報の収集の得意なギルドのおかげで、すぐに盗賊団の行動がわかり、事前に襲撃に備えて準備をしていたおかげで、スラムを乗っ取られずにすんでいた。
そのときはルーミスも、いつも銃を向けている相手と手を組み、共に盗賊団をい追い返していた。
「大丈夫だって。どんな奴らが街を襲いに来ても、またあたし達で追っ払えばいいだけなんだからさ」
 笑いながら言うルーミスに、少年は今だ深刻そうな顔をして、ルーミスの前に立つ。ルーミスは少しビックリして、
「な、なんだよ……」
 気の弱そうな声で、少年に食いかかろうとする。
「……ルーミス。君が強いのは、それはウェポン協会のみんなも……スラムの人間たちも、わかってる。わかりきっている。でも、だからと言って次も上手くいくとは限らないんだ。戦闘はいつも、勝つか負けるかのどちらかなんだ。そうじゃなかったら……相打ちだ」
「だから、負けなきゃいいだけのことでしょ?」
「次もルーミス達が勝てるって根拠はどこにもないよ。そうだろ?」
「そりゃ……そうだけど……」
 言い返そうとしたが、ルーミスは言い返す言葉が見つからなかった。少年の言うことに間違いがないからだ。
 それからしばらくルーミスは何も言えないでいたが、はっと、自分がなぜここに来たのかを思い出した。
「そ、そうだ! あのさ、イリアを見かけなかった?」
「イリア……あぁ、ルーミスと一緒に暮らしてるっていう女の子のことかい?」
「そう! イリア!」
 ルーミスから目をそらし、少年は何かを考えてるような表情をした。
 ……この顔は、何かを知っている……ルーミスは直感的に悟った。
「なにか知ってるんだろ? おしえてくれない? あたし、イリアと話したいことがあるんだ」
 それでも、少年は無言のまま、まだ考えこんだような表情をしていた。
「なぁ、お願いだからおしえてよ……」
 弱々しく、ルーミスは少年に乞う。その時の悲しそうなルーミスの顔を見て、少年は小さく溜息をつき、手に持っていた荷物を地面において、自分のポケットに手を突っ込む。中から、一枚のクシャクシャになった紙切れが出てきた。その紙を、ルーミスに差し出す。
「………………」
 何のことかわからなかったが、とりあえずルーミスは紙切れを広げてみる。
 ……そこには……
「!」
 開ききった紙を見て、ルーミスは絶句した。
「……昨日、ルーミスが帰ったあとに知らせが来たんだ。『スラムを狙う盗賊団がいるから、気をつけろ』って……本当は知らせが来たときにすぐ知らせればよかったんだけど、まだよくわかってなかったからさ、今日話すつもりでいたらしいんだけど……」
 少年が説明するが、ルーミスはその言葉は何も聞いていなかった。ただ、絶望の目をして紙切れを見つめている。
「こんなの……」
 ルーミスは震える声で小さく呟いた。
「……ん? どうしたんだい?」
「こんなの嘘に決まってるじゃないか!」
 紙切れを少年の胸に押しつけて、ルーミスはその場を走り去っていってしまった。
「ルーミス!」
 少年はルーミスに押された勢いで地面に思い切り尻餅をついてしまう。慌てて立ちあがるが、もうすでにルーミスの姿はその場になかった。ふうっと溜息をついて、少年は風に飛びそうになる紙切れを拾い上げ、寂しそうな表情で確認するように書かれている内容を読み上げた。
「『スラムを狙う盗賊団……その数、過去最高の三百人……』スラムの人間は百人もいない。……勝てるわけがない……」
 今までスラムを襲ってきた盗賊団は、せいぜい五十人が多いところだ。
 しかし、大切なのはこんなことではない。少年はもう一度溜息をつき、読みつづける。
「『盗賊頭は、二〇代前半の男、名はロード。銃器の扱いに長けている。……そして、』」
 説明されている盗賊頭の下に、写真が掲載されていた。短い黒髪の、一見どこにでもいるような、いたって普通の男である。一体どこをどうやってこれだけの情報が集められたのかは、少年はわからなかったが、ここまで知られてしまっているのだ。あまり強くはないのだろうとも思った。
「『……そして……』」
 少年の言葉はここで詰まってしまう。先ほどのルーミスの反応を見る限り、恐らくそうなのだろう。と、確信してしまったからだ。
 盗賊頭と思われる男の写真の横に、もう1枚、写真が載っていた。
 それは、まだ年端もいかない、幼い少女。
「『同じく銃器の扱いに長けている少女。盗賊頭の補佐官にあたる。……名は……』」
 茶色の髪と瞳を持つ、その写真の中の少女の名は……
「『名は、イリア』……」


「……おい、大丈夫か? あんなにバラシちまって……」
 暗い闇の中、皿の中に入っている冷めたスープをかき混ぜながら、一人の男が呟く。
「だ〜いじょうぶよ。わかりっこないわ」
 厚いコンクリートの壁にさえぎられた隣の部屋から、女の声で返事が聞こえる。コンクリートの壁なのに声がハッキリと聞こえるのは、扉がないせいだ。扉の代わりに、十数本の鉄格子が行く手をさえぎっている。
「あたし達が情報を漏らしたってことはどこにも言わないって条件で全部話したんだし。犯罪者ギルドはせこいところもあるけど、こういうところだけはキチンとしてるもの。絶対平気よ」
「……でも、俺達が団からいなくなったことが……バレたりしないのかよ……」
 あくまでも弱気な男に、女は自信に満ちた声で答える。
「大丈夫大丈夫。前々からあたしはあの団を抜けたいって思ってたんだし、そのことを他の奴に話したこともあるんだし。勝手に抜けだしたっていう程度にしか思ってないわよ」
「そうだと……いいんだがなぁ……」
 男はまだ弱気な様子で、ただスープをかき混ぜていた。差し出された時は湯気をたてていたそのスープも、ここまで冷めてしまっては食べる気も起こらない。
 三日前、男と女はギルドのハンターに捕まった。このスラムに、自分たちの盗賊団が乗っ取りの計画をたてるというので、一度偵察にいって来いと命じられたからだ。
 自分たちのほかにも数人の人間が同じ命令を下されたが、どうやら捕まってしまったのは自分達だけのようだ。
 盗賊団とバレてしまってから、ハンター達は乗っ取り計画のことをしつこく聞いてきたが、女はなんの反論もせずペラペラと団のことを話してしまったのだ。計画の日程や状況、頭と、その補佐の名前、持っていた写真。知っている情報を全て話してしまったのだ。
 頭は厳しい男だった。団の情報を外部に漏らすことは、死に値する。男の友人も、この団を抜ける計画を立て、それを実行したまではいいが、情報を漏らされることを恐れた頭が、補佐官を出して逃げた男を地の果てまでおいつめ、殺したと聞いている。
 そのことを思いだし、一瞬男は身震いをしたが、女のほうはそのことも知らないのか、鼻歌なんかを歌いだした。
「ハンターは、全てを喋る代わりに、無罪でここから出してくれるって約束してくれたし………これからどうしよっかなぁ? あたしもまだまだ若いし、女としての幸せを掴みたいわよねぇ……」
 自分の未来図まで語りだしはじめ、もう手がつけられる状態ではない。
もちろん、男もここから逃げ出せるのは嬉しいが、これからのことを考えると、体の震えが止まらなくなってしまう。
 ……そして、男の予感は見事に的中してしまった……
「まずは、このスラムから抜け出さなきゃね! 確か、南にスラートっていう街があったわよねぇ? そこをあたしの新居地にしましょう!」
「それは無理ね……」
 浮かれた女の声をさえぎるかのように、別の声が聞こえてくる。
「誰!」
 女は驚いて叫び声をあげる。……そして……
「あ……あなた……は……」
 さっきまでの浮かれた声とは明らかに違う、絶望に満ちた女の声が聞こえてきた。
「ど、どうしたんだ!」
 男は驚いて、鉄格子にしがみつく。が、隣の様子は暗闇のせいで少しも見えない。
「あ……あ……!」
 ガンッ!
 冷たい闇の中、銃声だけが響き渡った。
「お、おい! 誰だ! 誰なんだ!」
 何がなんだかわからず、男は鉄格子にしがみついたまま叫び続けた。が、女の返事は返ってこない。
 カツン、カツン……
 足音だけが、聞こえてくる。
「だ……誰だ……?」
 返答のない女。響き渡る銃声と足音。何だかわからなかったが、男は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
 近づいてくる足音。暗闇の中から、一人の少女が姿をあらわす。
「……!」
 その姿を見て、男は絶句した。
 さらりと流れる、金茶の髪。暗闇では更に濃く見える、ダークブラウンの双眸。
 見た目は、まだ『少女』という名詞が似合う年頃のはずなのに、その少女には、他の少女とは違う瞳を持っていた。
 明らかに、この世の全てを知っているような瞳。何もかもを見透かされてしまいそうな、そんな瞳。
「まったく、バカよねぇ。本当に、あたし達からそう簡単に逃れられるとでも思ってたのかしら?」
「イ……イリアさん……」
 少女……イリアは、名を呼ばれたからか、唇の両端を軽くあげて、目を少しだけ細める。
「残念だけど、あなた達のせいでスラム中にあたし達のことが知られてしまったわ……どうしようかしら……?」
 あくまでも微笑んだまま、イリアは右手に持っている銃をちらつかせた。
「俺……いや、私は関係ないですよ! 全部あの女が勝手にペラペラと喋って……!」
「『連帯責任』って言葉、知ってる? 女が喋っていたとき、あなたは何をしていたのかしら……?」
「……そ、それは……」
 女に、口ではああ言っていたものの、男も正直、団から抜け出して自由になりたいと思っていた。
 ギルドの連中に女が自分たちの素性を喋ったときも、特に止めようとはしなかった。そう。バレてしまった時は、全部女のせいにしてしまえばいいと思っていたのだ。
 が、現実はそんなに甘くはなかった……
「ボスは大層お怒りよ……あの人は自分のペースが乱されるのを一番嫌ってるから……」
「ど、どうかお許しを! これからはもっと団のために尽くしますから!」
 こうなってしまっては、謝るしか道は残されていない。そう判断した男は、両手と額を地面にこすりつけた。
 男の気持ちが通じたのか、イリアはニコリと笑顔を見せ、優しく言う。
「そうね……あなた、運がいいわよ。今日の私はとっても機嫌がいいの」
「ほ、本当ですか?」
 男はぱっと顔を上げた。その顔には希望が満ち溢れている。イリアはもう一度優しく微笑んだ。
 ……銃口を、男の方に向けたまま……
「な、なにを?」
 ひきつった顔をして、男はイリアの顔をみた。その顔にはまだ笑顔が残されていた。あいている方の手で髪の毛をかきあげて、イリアは淡々と呟く。
「今日はとっても機嫌がいいの……だから……苦しめずに殺してあげる……」
「!」
 男はその時、初めて見た……
 天使の顔をした、悪魔というものを……


『仕事』を終え、イリアは人目の少ない裏路地を歩いていた。
 朝から少し天気が悪かったからか、今は雨が降り注いでいる。ここは屋根もないところなので、傘を持っていない。イリアは、ただ雨に濡れるしかなかった。
「…………」
 まだ手に持っている銃を見つめ、感触を確めるかのように指でなぞる。銃は、血で真っ赤に染まっていた。
「だって……仕方がなかったんだもん……」
 自分自身に言い聞かせるように、イリアは静かに呟いた。雨に濡れた髪や衣服が肌にまとわりつく。全身ずぶ濡れになってしまっても、イリアは家に帰ろうとはしなかった。
「家……?」
 自嘲じみた声で、イリアは呟く。
「一体、どこが私の家だって言うの? 私が生まれた家? 親に捨てられるまでに住んでいた、あの家? それとも、盗賊団のアジト? それとも……」
 続きは、出てこなかった。銃を抱きかかえるように、イリアは座りこむ。
「あそこが私の家なわけないじゃない……」
 そんなの、わかりきっている。
 どの面を下げて、あそこに帰れというのだ?
 私には、どこにも帰るところがない……あの、盗賊団のアジトしか……
 ふらつきながら立ちあがり、イリアはゆっくりと歩き出した。
 もう、私に残された場所はあそこしかないのだ……。そう、自分に言い聞かせながら。


「……どういうつもりだ?」
「……どういうつもりだと思う?」
 水の染み込まない布でできた簡易テント。中には、天井からぶら下げられているランプと、眠るための寝袋と、質素な木の机とイスがあるだけだ。彼らは常に場所を移動するため、持ち運びに便利なように、持ち物も制限されている。
 そして、今、その木のイスに、一人の男が座っていた。彼の前には、雨でずぶ濡れに濡れた一人の少女が立っている。髪から雨のしずくをたらし、手に血まみれの銃を持って……
「まさか……お前がこの俺に逆らうことになるとはな……」
「私も、あなたにだけは逆らうことはないって思ってたわ」
 互いにクスクスと笑い、すぐに、マジメな顔に戻る。
「何が望みだ? イリア……」
 男のほうが口を開く。少女……イリアは真顔で、
「ここを抜けたいの」
 そう、答えた。男は少し驚いたような顔をする。
「……そうか……だが、ここの掟を忘れるほど、お前もバカじゃないだろう?」
「えぇ、だから逃げ出さずにここに来たのよ? ……ここを抜け出したいものは、まず私に勝たなければいけない。そうでしょう?」
「そうだな。ここを黙って逃げ出そうとした者に対してお前を走らせたのもその理由からだし……」
「……でも、私が抜け出そうとした時はどうすればいいのかしら?」
 そう。イリアは今までここを抜け出そうとした何人もの人間を撃ち殺してきた。頭であるこの男の命令だったから……
 男はふうっと溜息をつく。
「どうしてもか? どうしても、ここを抜けたいと言うのか?」
「同じことを何度も言わせないで、ロード……」
 男……ロードの問いも、イリアはバッサリと切り捨てた。
「そうか……じゃあ、俺が相手をするしかないようだな……」
 呟いて、ロードはゆっくりと立ちあがった。イリアは歯を食いしばった。
「残念だよ、イリア。お前だけは裏切ることはないと思ってたんだがな……」
 微笑み、そうささやいてくるロードの言葉には耳を貸さず、イリアは一歩踏み出した。
「…………」
「…………」
 流れる、沈黙。
 二人とも、少しも動こうとはしなかった。

 バァンッ……!

 銃声が、響き渡ったのは、振り続いていた雨がやんだ、ちょうどその時だったという。


「あ、や〜っと雨やんだか」
 日差しがさしこんできた空を見上げ、ルーミスは呟いた。
 突然雨が降ってきたので、宿屋の下で雨宿りをしていたのだ。
「どうしようかなぁ……一度部屋に戻ろうかな? ひょっとしたら、イリア戻ってきてるかもしれないし……」
 ちょっと考えてから、再び歩き始める。
 イリアが行きそうな場所は、大体捜してみた。だけど、どこからもイリアを見たという声は聞こえなかった。
 ひょっとしたら、イリアはもうこのスラムにはいないのかもしれない……ルーミスの脳裏に、一瞬そんな考えがよぎってしまう。……だけど、
「……うん! 部屋に戻ってみよう!」
 ルーミスはパンと両手を合わせた。……そう、あたしがイリアを信じなければ、誰がイリアを信じてあげられるというの?
 暗い考えを押しのけるかのように、ルーミスは水溜りを蹴った。


 昼間の酒場。今日は珍しく客が一人もいなかった。掃除も昨日したばかりだったので、何もすることがなかったマスターは、カウンターで新聞を読んでヒマをもてあましていた。
 と、扉が開く音が聞こえる。
「いらっしゃい……って、なんだ、アンタか」
 マスターは閉じかけた新聞を再び広げる。そう、来たのは客ではなかったのだ。
「約束の報酬の残りを払いに来たわよ」
 扉の向こうから見える影は、静かにそう告げた。マスターの新聞を読む手がピタリと止まる。
「……本当か……?」
 新聞を閉じてカウンターの上に置き、マスターは影のほうを見た。……金茶の髪。ダークブラウンの双眸を持つ少女……
 そう、この酒場の2階に住む少女の一人、イリアであった。
 喜びにあふれたマスターの声を聞いて、イリアはニッと笑う。
「えぇ、本当よ………ただし……」
 イリアはゆっくりと歩み寄った。カウンターの前に立ち、歩みを止めたかと思うと、一瞬にしてバッとカウンターの上に飛び乗った。そして、素早く服の中に隠したホルスターから銃を抜き取り、それをマスターに向ける。
「……な、なんのマネだ!」
 あまりの素早さに、マスターは何が起こったのかよくわかっていなかったようだが、事態を察してからイリアに向かって叫ぶ。しかし、イリアはそんなマスターの言葉もサラリと流す。
「なんのマネだと思う?」
 わずかに目を細め、微笑みを見せているイリアのその態度は、明らかに人を見下しているものだった。
「お、俺はちゃんと約束は守っただろう? お前たちの言う通り、『わざと』ルーミスと同じ部屋に置いてやった!」
「そうね……でも、私はそう簡単に人を売るような人間は許せないの。ここに来たときに払ったお金……もう、全部使っちゃったんじゃない?」
「だが! この件が済んだら、俺をお前たちの仲間に入れてくれるんじゃあ……! それが約束だったはずだろう!」
 イリアはきょとんとした顔をし、しばらくしてから、あぁ。と呟いて、ケラケラと笑い出す。
「何がおかしい!」
 叫び続けるマスターの声を聞いても、笑いは止まらない。
「……はっ……おかしい……! あなた、まさかそんな話を信じてたわけ? ……言ったでしょ? 簡単に人を売る奴は許せないって……」
「……だが……!」
「残念。もうあなたと話すことなんて何もないの……」
 マスターの言うことは無視し、イリアはしゃがみこんだ。銃口をマスターの眉間に押しつけ、最後にもう一度だけ微笑んで見せた。
「……サヨナラ……」

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