片翼

第1回

序章

 あたしは、この十五年の人生の中、たくさんの人達に裏切られてきた。
 己が生きるため。ただあたしが嫌いだったから。誰かの命令だったから……。彼らの理由は様々だったが、一つだけ共通したことがある。
 あたしが、深く傷ついたこと。
 あたしは、父と一緒に世界中を回る旅人だった。父は世界でも五本の指に入る銃の名手だかなんだかで、常に誰かに命を狙われていた。だからあたしも、自分の身を守るために幼い頃から銃を握らされていた。父の血を引いていることもあり、あたしはすぐに銃の扱いに長けていった。
 行く先々の場所でたくさんの人と知り合った。父はあたしが生まれる前から旅をしていたので、世界中に知り合いがいたのだ。
だが、彼らの大半は父の命を狙うことが目的で父に近づいているのだ。
父は世界の悪党を退治して回る正義のガンマンだったから、父の存在が気に食わない人が大勢いたのだ。だから、今まで数えきれない人に裏切られ、殺されそうになり、生きてきた。
 だけど、その中でもある三人の人間に裏切られたことが、今でも忘れられずに心の奥に残っている。
 今まで何度も知人だと思っていた人間に銃を向けられてきた。あたしはその度に父の腕の中で泣いていたのだが、それはその時の感情とは比じゃなかった。私の心を深くえぐり、今もその傷痕を残している。

 一人目は、母だ。
 母は、あたしが物心つく前にこの世を去った。だから、あたしは母のことは、全くと言っていいほど覚えていない。
母も父と同じガンマンで、あたしが生まれてからも旅を続けていたらしい。
ただ、旅を続けていくうちにあたしにも、どうして自分には母親がいないのかと思うようになった。幼い私は遠慮というものを知らなかったので、父に何度も聞いたこともある。いつもは苦笑いをしてあたしを交わしていた父だったのだが、ある日、酒に酔った勢いであたしに思い出話を聞かせてくれた。
母は、あたしを殺そうとした男の銃弾の盾となって死んだのだそうだ。ありきたりと言えばありきたりだが、当時の私のショックは表現のしようがない。自分のせいで、母が死んだのだから。
「あいつは、お前を一人前になるまで育てるって言っていたのになぁ……」
 酒を飲みながら語る父を横に、あたしは涙を堪えながらこう思うしかなかった。「母は、約束を守ってくれなかったんだ」と……
 子供心ながらとても歯痒かった。バカな子供の我侭だとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。そうしないと、母のいない寂しさを紛らわせることができなかったから。
 自分が母を殺したということを、忘れることができなかったから。

 二人目は、その父だった。
 父は、亡くなった母の代わりに私を立派に育ててくれると、いつも酒を飲みながら言ってくれていた。
 嬉しかった。自分の隣に誰かがいてくれることの安堵感。それは、何物にもかえがたいものだった。あたしも、その父の言葉を信じて、ずっと父の側にいた。ずっと、父と一緒にいられると思っていた。
 それなのに、父は男同士の決闘だかなんだかで、あっけなく逝ってしまった。あたし一人を残して。
相手が卑怯な手を使い、父を陥れたのだと知ったのは、父が死んで半年ほど経ってからのことだった。遣る瀬無い思いで胸がいっぱいになったが、まだ十五になったばかりのあたしには何もできなかった。戦いを挑んでも、父のように殺されてしまうのが落ちだとわかっていたから。
 そう。気がつけばあたしは一人になっていた。
これからあたしは、父のぬくもりも母の優しさも知らずに生きていかなければならなかった。あの荒んだ町で、たった十五歳の少女が生きていくのは、自分で言うのもなんだが地獄だったと思う。
 でもあの日、あたしの隣に、一緒に座ってくれる人間が現れた。共に笑い、泣いてくれる人が……
 この人と二人でなら、この街でも生きていける。あたしはそう思っていた。父のぬくもりも、母の優しさも、この人が全て教えてくれる。そう思っていた。
 しかし、その人こそ、三人目の『裏切り者』だった……


第一章 * 海の見える丘

 星空。
 ルーミスの目に最初に入ったのは、夜空に瞬く満天の星だった。ルーミスは、その空を見上げるように立っている。
 地面には、やわらかな草が風に揺られていて、ルーミスの素足をくすぐっていた。
「ここは……」
 ルーミスは、自分の額に汗がにじみ出ているのを感じる。夢の中でも汗ってかくのだ……そんなヘンなことを思いながら。
 はっとして、ルーミスは正面を向いた。鼻をつく、潮の香り。その先は崖。星空と一体化していてわからなかったが、崖の下には真っ黒な海が広がっていた。耳を澄ましてみると、わずかだが波の音も聞こえてくる。
 ルーミスは、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「ここ……ここって……!」
 高ぶる気持ちを押さえながら、ルーミスは辺りをキョロキョロし始めた。すると、そんなルーミスの態度に答えるかのように、目の前にぼんやりとした何かが浮かび上がってきた。
……石。
それは縦長にとても大きな石だった。寄り添い合うように、二つ並んでいる。
(へぇ、ここがこの間ルーミスの言っていた場所なんだ)
 ふと、隣から声がする。
 今まで人の気配は全くなかったのに、ルーミスの隣に、一人の少女が立っていたのだ。ルーミスと同い年くらいの少女で茶色の髪を夜風に心地よくなびかせている。顔は……暗闇のせいか、よく見えない。
 ルーミスは、声が出なかった……いや、出せなかった。
(ねぇ、ルーミス……空ってこんなに広いのに、どうして私達ってこんなにちっぽけなんだろう……?)
 そう言いながら、少女は膝をかかえて座りこむ。
(……あはは! ルーミスらしいや!)
 突然、声をあげて笑い出した。しかし、その笑い声もすぐにしぼんでしまう。
(……私も……ルーミスみたいに割りきれたらな……そうしたら、どれだけ幸せになれたんだろう……)
 膝をギュッとかかえ、少女は呟いた。しばらく間が流れ、
(まさか! 今は今ですっごく楽しいわよ!)
 また、明るい声で返事が返ってくる。
 ルーミスは、そんな少女の一人劇をただ黙って見つめていた。声をだそうにも、出せない。足を動かそうにも、手を動かそうにも、動かせない。ただ、黙って涙しながら見つめているしかできなかった。
(だって、今はルーミスが傍にいてくれるもんね)
 ルーミスは泣いていた。とめどなく流れ出す涙を、拭うこともできなかった。でも、泣くのをとめることもできなかった。
 よく見ると、目の前の少女は、体がわずかに透けていた。それは、彼女の体が実体でない証拠だった。
(でも、私もこの場所、すっごく気に入った!荒れ果てているスラムに、こんないい場所があるなんてちっとも知らなかったわ)
 少女は、本当に嬉しそうにはしゃぎだした。スカートについた草をはらいながら立ちあがり、こちらの方をじっと見る。そこで初めて顔が見えた。
 ダークブラウンの双眸を持つ少女。その顔は、ルーミスのよく知っている……
(……ねぇ、ルーミス……)
 また、少女は塞ぎ込んだような声になる。
(一つ、お願いがあるんだ……)
「……やめて……」
 ルーミスはやっとのことで、声を出す。喉の奥からしぼりだしたかのように、ほとんど聞き取れない、小さな声。
 しかし、少女はそんなルーミスの願望に耳も貸さずに、続ける。
(もし……もしだよ? ……私が……)
「やめてったらあっ!」
 力の限り、叫ぶ。ルーミスの声にかき消され、少女の声は耳に届かなかった。うつむいてしまう瞬間、少女の寂しそうな笑顔がちらりと見えた。とても……とても印象的な、その笑顔……
 ぜえはあと、肩で息をしながらルーミスは顔を上げる。しかし、そこにはすでに少女の姿はなかった。
 はっとなり、ルーミスは前を向く。
 ……すると、そこに並んでいた二つの大きな石の隣に、一回り小さな石が一つ加わっていた。
「あ……」
 ルーミスはわななく手を口に当てる。
「いやああああああ!」


「!」
 そこでルーミスは目を覚ました。
 目に写るのは、宿屋の天井。星空など欠片も見当たらない。
 重い頭を押さえながら体を起こす。
 短く切りそろえた赤茶の髪に、燃えるように赤い瞳と陽によく焼けた小麦色の肌を持つ、二十代半ばほどの女。それがルーミスだ。
 青で統一された服に身を包んでおり、左頬には火傷の痕が見られる。その傷痕に指で軽く触れてから、ルーミスは前髪をかきあげる。額には玉のような汗が浮かんでいた。
「……ふぅ」
 溜息をつき、そして苦笑する。
「久しぶりだな、この夢を見るのも……」
 チラリと、横を見る。隣のベッドで誰かが寝ている様子が伺えた。胸元にかけられた毛布が規則正しく上下しているのを見て、ルーミスはほっと胸を撫で下ろした。
 額の汗を拭い取り、ルーミスは再び毛布の中に潜り込む。昨日はずっと歩き通しだったせいか、眠りはすぐに訪れた。
 もう、夢は見なかった。


 次の日、ルーミスは五年振りにその丘に立った。
 海の見える、小さな丘。そこは彼女の昔からのお気に入りの場所。辺りは緑に覆われていて、所々花も咲いている。ルーミスは大きく伸びをし、足元をくすぐる草の上に座る。
 潮の香りを含む風がルーミスの赤毛を撫でるように吹いていた。目を閉じて、その風を全身で受けとめる。
「……ただいま……」
 ルーミスは手に持っていた小さなバッグを地面に置いた。
 耳を済ませば波の音も聞こえてくる。何もしたくないときは、ルーミスはいつもここに来ていた。来て、ただ寝転んでぼうっと空を眺めていた。一日中、ここにいるときもあった。草がとても柔らかいので、心地よい眠りを誘ってくるのだ。
「……ただいま、父さん……母さん……」
 ルーミスはチラリと横を向いた。
 そこには、縦長に大きな石が二つ、寄り添うように並べられている。苔で緑に変色してしまっているその石を見つめ、ルーミスは苦笑した。
「やっぱり汚れちゃったなぁ」
 バッグの中に入っていた布で丁寧に石を拭きはじめた。
 みるみるうちに石から苔が消えてゆき、布が苔で真っ黒になってしまうころには、二つの石はすっかり元の色を取り戻していた。
 昔は、ここに来るたびにこの石をピカピカにしていたものだったが……
「ゴメンねぇ、本当はもう少し早く戻ってくるつもりだったんだけど……ちょっと用事ができちゃって」
 ルーミスはやんわりと笑う。
「積もる話は後でするとして」
 そう言って、視線を右に移す。そこにあるのは、さっきルーミスが磨いていたのより一回り小さい、苔だらけの石。
「よ、久しぶり……」
 フッと、陰りのある表情を浮かべ、その石の前に座る。
「どう? 元気してた? って、誰に話しかけてるんだろうね、私は……」
 ははは。と乾いた笑いをあげ、ルーミスはじっとその石を見つめていた。
「昨日、アンタの夢を見たよ」
 消えてしまいそうな声で呟き、そのまま黙り込んでしまう。
「…………」
 どのくらい黙り込んでしまっただろう。自分でもわからなくなってしまった時、ふと真上に何かの気配を感じた。
「?」
 何気無く空を見上げてみる。するとそこに,
一羽の白い鳥が羽ばたいているのが見えた。
「あ……」
 その鳥を目線で追いかける。……なんだか、放っておけないような気がしたのだ。
 すると、その鳥も彼女の視線を感じとったのか、ふわりと体を旋回させ、目の前の石に乗り、体を預けた。
 ……美しい鳥だ。
 ルーミスは本心からそう思った。真っ白な羽根が太陽の光を浴びて銀色に輝いており、その姿はまるで天使を連想させるようであった。
しばらくその鳥に見とれていたが、ルーミスは突然その鳥に向かって話しかける。
「ここが何なのか、教えてあげようか」
 もちろん鳥から返答がくるわけはなかった。だが、ルーミスは続ける。
「お墓なんだよ、ここ」
 並んでいる石を見ながら呟く。一瞬、鳥が首をかしげるような仕草をする。
「父さんと母さんの。別に亡骸は埋まってるわけじゃないんだけど。死体はどこにあるかわからないの。でも、お墓がないと寂しいじゃない? せめてもの気休め……ってやつかな?」
 二つ並んでいる大きな石。ルーミスはこの場所を見つけたとき、ここを両親に見せてやりたいと、そう思った。
 そして、自分はまだ両親の墓すら作っていないことに気がつき、どこからかみつけてきた大きな石を墓石として、ここに置くようにした。それからというもの、二日に一度はここに来るようになっていた。
「でね、アンタが乗ってるその石も、お墓なの」
 鳥が座っている石を顎で示す。
「おもしろい物を見せてあげる」
 何かを思い出したかのように、ルーミスは立ちあがった。鳥の座っている石の横に立ち、膝を付ける。不思議と、鳥は逃げようとはしなかった。
「えっと……あ、ここだ」
 まだ手に持っていたタオルで、丁寧にそこを拭く。拭いたところに現われたのは、四つの文字。ルーミスがナイフで一生懸命彫ったものだ。ルーミスは、それを愛しそうになぞる。
「……あたしだってわかってたんだ……」
 誰にも聞こえないような小さな声で、呟く。
「ねぇ、昔話をしてあげようか?」
 明るい笑顔を見せ、ルーミスは鳥に向かって尋ねてみる。鳥は相変わらずなんの反応も見せなかったが、特に逃げようともしていなかったので、ルーミスはその場に座り込んだ。
「……この世界で一番の……裏切り者の話だよ……」
 ルーミスは、もう一度石の文字をなぞった。
 それは、かすれた文字で ― I R I A ― ……そう、書かれていた。

 そう、あれはまだ、あたしがあたしを嫌いだった頃の話だ……


「……お、覚えてろよ〜!」
 もう、聞き飽きたその台詞。ルーミスは逃げていく男たちを睨みながら銃を腿につけたホルダーに入れなおした。毎度毎度、ルーミスにケンカを挑むのは構わないのだが、銃を一発撃てば、大抵のヤツは逃げて行く。それなら最初からケンカなど売らねばいいのに。ルーミスはいつもそう思っていた。
 短く切りそろえられた赤茶の髪に、火のように赤い瞳。瞳と同じ色のシャツに黒いパンツと、動きやすそうな服装でまとめている。しかしその顔には、まだ少女らしいあどけなさが残されていた。
 一年前、十五の時に父と死別したあと、ルーミスはこのならず者の街――スレムに流れついた。この街の本当の名など無い。誰かがスラムと呼び始め、今に至る。
 爆弾でも投げ込まれたように倒壊した建物が並び、崩れ掛けている壁には無数の射創の跡がある。小汚い格好をした男たちが項垂れながら壁にもたれかかり、口をぽかんと開けながら明後日の方を向いている。先ほどの銃声を聞いても眉一つ動かさなかった。
このスラムでは、こんなことなど日常茶飯事なのだ。 毎日毎日、盗むか盗まれるか、生きるか死ぬかの瀬戸際の世界。油断した方の負けだ。
 先ほども、ルーミスの持っている銃を狙って、大の男が三人がかりで彼女を襲おうとしたみたいだったが、その計画はあっさりと失敗してしまう。
ルーミスだって、銃の名手とうたわれた父とずっと旅を続けていたのだ。ルーミスはまだ十六歳だったが、銃の腕はもちろんのこと、ある程度の体力も素早さも備わっている。同年代の子ども達と比べたらそれは雲泥の差だ。そこらにいる子どもと同じだと思って舐めてかかった大人達など、一分も経たないうちに追い返せてしまう。
「たかが一発の銃声を聞いただけで逃げ出すなんて……それなら最初から襲わなきゃいいんだよ……」
 毒舌を吐いて、ルーミスは地面に散らばったリンゴを拾い集め、袋の中にいれなおした。さっきまで食材の買出しに出かけていたのだが、その帰りに襲われたのだ。袋の中には落としたときに割れてしまった卵もある。
 ルーミスは割れた卵を見て、溜息を吐いた。その中からなんとか割れなかった卵を取り、袋にしまう。
「もったいない……。また買いにいかなきゃ……さっき撃った銃弾ももったいなかったなぁ。あんな弱そうな奴らだってわかってたなら銃を使わなかったのに……」
 ぶつぶつと一人ごちながら割れていない卵を全て拾い上げて立ち上がる。もう、誰に襲われることも慣れてしまっている。そう自分に言い聞かせ、唇を噛み締める。
 風が吹き、ルーミスの赤毛を優しく撫でる。ルーミスは顔にかかる髪を押さえながら何気なく北の方を見た。しかし、そこには広大な空が広がっているだけ。次いで南の方を見つめる。が、倒壊した建物が立ちふさがり、遠くを伺うことはできない。
でもルーミスは知っている。あそこには、自分は入れない世界があるということを。
 スラムを挟んだ南北には、大きな街がある。このスラムとは違い活気に溢れ、他の街との交流も盛んで、人々の笑顔の絶えない街だ。
 そんな街に挟まれ、何故スラムが存在するのか。理由は簡単だった。南北の街から追い出された者達が集まっただけなのだ。元はこのスラムも他の街と負けず劣らず活気のある街だったらしいのだが、五十年前に南北の街がいがみ合って戦争が起こり、そのとばっちりを受けてしまったのだ。
南北の街の戦争が終わった後、残されたのはただの廃墟となってしまった残骸だけである。
今では南北の街は和解し、お互いに助け合っているらしいのだが、スラムを再建させようとはしなかった。ただ、スラムに住んでいた人達を快く己の街に受け入れてくれたらしい。
 それですべてが丸く収まった。そしていつからか、スラムは街で罪を犯したり、行き場を無くしたりした者達が住みはじめるようになったのだ。
 しかし生活に困ることなどはなかった。このスラムから少し離れた所に協会集落があるのだ。それは、南北の街の通過点として置かれており、スラムの人達にとっても最後の命の綱だ。三日に一度、支援物資が届き、その物資はスラムの人間にも配られる。もちろんタダではないが。
 ルーミスをはじめ、多くのスラムの住人は、協会集落の人間に何らかの援助をする事で、いろいろな物資を手に入れている。例えば、スラムの奥にあるジャンク山やガレキの滝で、協会に珍しい部品などを提供したりしているのだ。
ルーミスの場合、父から磨き上げられた腕で、武器の整備をしているウェポン協会で新しい銃の開発を進んで手伝っており、その報酬として物資を援助してもらっている。それだけで、十分食べていけるからだ。
 もちろん、このならず者の町・スラムなので、ムリヤリ金品を強奪しようという輩も数え切れないほどいる。先ほどルーミスを襲った奴らも、その類だろう。
だが、彼らはスラムの住民を襲っても、決して協会集落は襲おうとはしない。それは、このスラムに住む者たちの無言の間に交わされた掟。協会集落がなくなってしまったら、自分達はもうここでは生きていけないのだ。
 他の規制の厳しい街とは違い、どんな者でも受け入れ、どんなことをしても許される街・スラム。そんな自由なところに惹かれて集まって来た者達にとって、このスラムが無くなってしまったら本当に行き場を無くしてしまうのだ。
 そう、ここは世間から見離された者達に許された最後の領域。もう、二度と他の土地に足を入れることは許されない。
 太陽が傾き、空をオレンジ色に染めている。支援物資を持ってくる人間は日が暮れる前にさっさと帰っていってしまうので、今日は代えの卵は諦めることにした。また三日すれば支援物資が届く。その時に新しい卵を調達すればいい。割りきった考えで、ルーミスは再び家路へと向かった。


 ルーミスの家は、スラムにただ一つだけある酒場の二階にある。何も無いスラムにとって、この酒場は唯一の憩いの場だ。
しかし、ルーミスは酒場の扉を開けてもカウンターでグラスを拭いているここのマスターの方をチラリとも見ようとせず、一直線で階段に向かっていった。マスターの方も、扉の開いた音が聞こえなかったわけではないのに、ルーミスの方を少しも見ようとしない。だが、それがいつものことだから気にも止めなかった。このまま階段を上がり奥にある部屋の扉を開けて、晩ご飯を作ってそのまま寝る……。
毎日続いている日常生活。今日も、そしてこれからも変わることの無い日々。ルーミスは部屋の扉を開けると、袋をテーブルの上に放ったままベッドに倒れ込んだ。大きな溜息を吐いて瞳を閉じると、すぐに心地よい眠りが襲ってきた。


 ルーミスの一日は夜明けから始まる。
 幼い時に父と旅をしていた時から夜明けと共に目覚めていたので、自然と誰に起こされるでもなく日が昇れば目が覚める体質になってしまっていた。
 ルーミスは大きな欠伸を一つし、キッチンで顔を洗った。そして、日課である銃の整備から一日が始まる。
 父の形見でもある、リボルバー式の片手に収まる小さな銃。父は生前、たくさんの銃を持っていたが、その中からまだ子供だったルーミスにも扱えるようにと、一番小さな銃をルーミスにくれたのだ。現在、ルーミスも自分の銃を他にも二丁持っているが、この銃を一番良く使っている。
 中に入っている弾を全て抜いてから丁寧に整備をする。整備が終わると、弾倉を空にしたまま何度か空撃ちをする。そんな簡単な動作を何度かしてから、弾を一つ一つ弾倉に戻してゆく。
「…………」
 整備を終えた後、銃を静かに胸元に持って行き、抱きしめるようにする。そのまま目を閉じて心の中で呟く。
 この銃を、使わなくても済みますように。
 それは、生前父が毎日していた祈り。父はガンマンだったが、人を傷つけることを何より嫌っていた。誰も傷つかなくいい方法はないのかな? いつも、笑いながらそう言っていた。
 何気無くそんなことを思いだし、ルーミスは無言のまま銃をホルスターにしまった。
 今日も、いつもと変わらない一日が始まる。


 ルーミスが仕事場に着いたのは朝霧が晴れた頃だった。まだ辺りは静かで、物音一つしていない。
「おはよう、ルーミス」
 ウェポン協会に足を一歩踏み入れると、スキンヘッドの男がルーミスに話しかけてきた。
「おはよう」
 無愛想ながら、ルーミスも返事をする。一応同じ職場で働いている仲間なのだ、挨拶だけはきちんとしておいた方がいいと判断しているのだ。
 まだ協会には他のメンバーは来ていない。離れにある宿場でまだ寝ているのだろう。ルーミスはさっさと自分の仕事場に着き、早速仕事を始めることにする。
 このウェポン協会には、スラムの住人はルーミスしかいない。他の人間は、南北の街から住み込みで働きに来ているのだ。
ウェポン協会は細々と同じ動作を繰り返すことが多いので、粗野なスラムの住人には余り向いていない仕事なのだ。それがわかっているから、協会の人間もあまりスラムの住人を採用しない。それなのにルーミスが採用されたのは、それだけの腕があるからだ。
 最近ルーミスは新しい銃の開発に凝っている。今持っている銃は、皆殺傷能力は優れているものの、携帯性には優れていない。逆に携帯性に優れている銃は殺傷能力が優れていない。
 いくら強いとは言え、ルーミスはまだ子供だ。あまり重い銃は常備携帯できない。ルーミスは常にそれをどうにかしたいと思っていた。
 自分一人ではどうにもできないだろうが、このウェポン協会に来てからは大概のことができるようになった。一人では調達できない部品なども、協会を伝ってなら入手することができるのだ。それで常々危ない薬品やら物品やらを調達しているので、最近は上の者に目をつけられるようになり始めた。だからあまり大きなことはできなくなってしまっている。
 まぁ、自分が最低限やりたいことに関する品物の調達は認められているので、仕事に影響がでるわけではない。
 だから、最近は仕事だと言いながら自分の都合にいいことばかり作業している。上も本当は文句の一つでも言いたいところなのだろうが、ルーミスの腕が確かなのは本当のことだし、その作業が全く無意味だというわけではない。口を出せずにいるのだ。
 そんな知恵ばかりを働かせながら、ルーミスはここで仕事をしている。このウェポン協会という雰囲気を、なんとなく好きにもなり始めていた。
 しばらくすると、集落で寝泊りしている職員達が次々と顔を出してきた。
 ルーミスは適当に挨拶をしながら、自分の作業を黙々と続けている。


 日が地平線に暮れ始めた頃、ウェポン協会の仕事が終わる。
「ルーミス……そろそろ帰ってくれよ……」
「ちょっと待って……後少しだけだから」
 後ろで腰を手に当てて溜息を吐いているスキンヘッドの言葉を何気無く聞きながらルーミスは作業を繰り返していた。
 いつもこうなのだ。仕事の終了時間になっても、ルーミスは全く帰ろうとはしない。それだけ仕事に熱心だというのは嬉しいことなのだが、他のくたくたになった職員のことも考えてほしい。協会の鍵は男が所有しているので、職員が全員出ないと鍵をかけられないのだ。いつも最後はルーミスとこの二人の押し問答になってしまう。
「明日も仕事があるんだから、明日ゆっくりやればいいだろうが」
「今日やらないと絶対後悔するんだよ……あと少しでいいから」
「その言葉を毎日聞いてる俺の身にもなれよなぁ?」
「じゃあ私を置いてっていいよ。鍵はかけとくから」
「一応、お前はスラムの人間なんだ。大事な鍵は渡せない」
 そんなやり取りをほぼ毎日繰り返している。いい加減男にも嫌気が差してきた。
「今出ないと明日入れないぞ!?」
 ついに男は最終手段に出た。
「…………」
 ルーミスが、作業していた手を止めてじっと男を睨んでいる。が、男はルーミスから視線を逸らして口笛を吹き始めた。ルーミスは小さく舌打ちをする。
「わかったよ……今から出るから」
 重い腰を上げ、その場で伸びをする。腰や腕の骨がポキポキと鳴った。
「はい、お疲れさん。……あ、そうだ」
 手首をぐるぐると回しているルーミスに、男は袋を差し出した。
「? 何?」
「差し入れだよ。パンが入ってるから、晩飯にでも食いな」
「ふぅん……ありがと」
 袋を受け取ると、ルーミスは中を覗きこんだ。柔らかそうなパンが二つ、中に入っていた。恐らく集落を通りすぎた商人か誰かからの差し入れだろう。ルーミスは素直に受け取ることにする。
「じゃ、また明日な」
「うん。また明日」
 男とルーミスは、協会の前で別れた。
 男は集落の外れにある宿舎へ。ルーミスは集落を出てスラムへ、それぞれ向かって歩き出した。


 いつもと変わらない一日が終わろうとしている。昨日も、今日も、明日も。何も変わらない日が永遠に続くのであろう。
 ……そう、永遠に……
が、今日は少し違った事があった。
「…………」
 ガサッ
 思わずルーミスは持っていた袋を落としてしまう。
部屋の入り口に、見たこともない少女が眠っていたのだ。
 年はルーミスと同じくらい。肩より少し長い金茶の髪をしており、服はごく普通の村娘が着るような木綿のものであった。
「……な、なんなの? コレ……」
 マスターは気づかなかったのか? ルーミスはそう思いながら、袋を拾い上げ、とりあえず少女を避けて扉を開けた。
 ……このスラムでの掟だ。『余計なことには首をつっこむな』
「クシュン!」
 ルーミスはドキリとした。少女がくしゃみをしたのだ。
 よく見ると、少女はノースリーブのワンピースを着ていた。その下にも下着しか着けているように見えない。
「…………」
 ルーミスはその場にしゃがみこんでしまった。
 ……ダメだな。あたし……余計な事には首をつっこまない。って決めたのに……
 心の中でそう呟くと、ルーミスは大きく溜息をつき、袋を部屋の奥においてから、もう一度扉まで戻ってきた。
 決して腕力がありそうには見えない細腕で、眠っている少女を軽々と抱き上げてしまう。
「……軽い……」
 小さく呟いてから、ルーミスは少女を自分のベッドの上に置いた。
「ふぅ……」
 一息ついて、ルーミスは袋の中に入っている缶ジュースを一本取り出す。それを開けて、一気に飲み干す。
「とりあえず、この子からは明日いろいろ聞くとして……あたしはどこで寝ようかな」
 結局、その日ルーミスは固い床の上に、タオルをたくさん敷いて眠るのであった。


「……ん……?」
 その日ルーミスは、ありもしないもののせいで目を覚ました。
「………」
 部屋じゅうに充満している、焼けたパンの匂い。ルーミスは飛び起きた。
「あ、目ぇ覚めた?」
「あんた……」
 部屋のキッチンに、見知らぬ女が立っていたのだ。……見知らぬ。というのは少しおかしいかもしれない。昨日、ルーミスの部屋の前で眠っていた少女だ。
「勝手に冷蔵庫開けさせてもらったよ。まぁいいよね。これからは一緒に住むんだし」
 少女はそう言って再びキッチンのほうに体を向けた。ダークブラウンの瞳を持つ、人懐っこさそうな少女だ。
「……ちょ、ちょっと待ってよ!」
 ルーミスは慌てて少女の肩をつかんだ。少女のほうは、何が起こったのかわかっていないような表情をしている。
 が、何か気づいたようにぱっと明るい笑顔を見せて、
「そうそう。自己紹介忘れてたね。あたしイリアって言うの。あなたは?」
「ルーミス……だけど、そうじゃなくて!」
「そっか。ルーミスか。これからヨロシクね」
「だから! その……『一緒に住む』って、どういう意味よ!」
 確かに先ほど、少女はそういうことを言った。……一緒に住む……そんなこと、聞いたこともない。
 少女――イリアも、意外そうな顔を浮かべ、手に持っていたフライパンを持ったまま、
「……え? あの……マスターから聞いてないの……?」
 フライパンを落としてしまいそうなか弱い声で、そう聞いてきた。ルーミスは当たり前だという顔をして講義する。
「なんにも……一言も聞いてないよ」
 溜息をつき、思わず頭を押さえてしまう。
「で、でもでも! あたしはちゃんと言ったんだもん! ここに住ませてもらうって! 他に女の子が泊まってるから、その子と仲良くやっていけって!」
 ……この子と話していてもキリがない……そう判断したルーミスは、まだうろたえているイリアを放っておいて、一階まで一気に駆け下りた。
一階では、明らかにいつもと違う表情のルーミスを見て驚いているマスターがいた。酒場の掃除をしていたらしく、手にはほうきを持っていた。ルーミスはものすごい形相でマスターに食いかかる。
「ちょっと! 何なのよあの女の子は! あたしはひとっっ言も聞いてないよ!」
 するとマスターは、あぁ、という顔をして、
「そりゃそうだよ。言ってないんだから」
 あっけらかんと、そう答える。ルーミスも一瞬あっけにとられたようだが、すぐに気を取り直して再び叫んだ。
「言ってないって……それじゃあ困るんだよ! 突然あんな物つきつけられても!」
 あんな物……そう、ルーミスはこの時、まだあのイリアという少女を物扱いしていた。ただの障害物だとしか思っていなかった。
「いいじゃないか……あの子はこの酒場の経営を手伝ってくれると言ってるんだ」
「だからって! どうしてあたしと同室なんだよ!」
「部屋は一つしかないんだ。我慢しな」
「我慢できるわけないだろ!」
 決して引き下がろうとしないルーミスを見て、マスターは溜息をついた。そして、笑いながら呟く。
「……じゃあ、お前があの部屋を出ていけばいいんだ」
「え?」
「聞けば、あのイリアって子も、少しは銃の腕がたつそうなんだ。……意味がわかるか」
「…………」
 今までの勢いがどこにいったのか。ルーミスはそこで何も言えなくなっていた。
「……わかったよ! あたしが我慢すればいいんだろ!」
 近くにある椅子を思いっきり蹴飛ばし、ルーミスは毒舌を吐いてマスターに背中を向けた。
 その足音には、明らかに怒りが混ざっていた。が、マスターは気にも止めた様子もなく、ただルーミスの背中を見送っていた。ルーミスが2階に上がってしまうと、カウンターの方まで歩いていって、棚の奥に隠していた一つの袋を取り出す。ジャラジャラという音を立てるその袋を開けると、無数の金貨が顔を出した。それをみて、マスターは思わず舌なめずりをしてしまう。
「……コレのためなんだ。悪く思うなよ。ルーミス……」
 金貨を一枚取り出し、笑いながら呟く。その姿は、どう見ても異様なものだった。

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