MadMoon2〜二つの月が出会う夜〜

 

 

*第1回*

                                                       

 ミシェルはココアの入ったマグカップを片手に、窓辺に立って夜空を見上げた。

 部屋は暖炉の炎で暖められており、こんな雪の降る夜でも、寒がりのミシェルも家の中では

薄着で過ごすことができた。薪の燃えるパチパチという音だけが耳に響く。

 コク、とココアを一口飲む。甘党のミシェルはミルクも砂糖もたっぷりと入れてココアを飲む

のだが、いつもこの調子でココアを作ってしまうので、甘い物が苦手なケビンはいつも苦い顔

をしながらココアを飲み干している。

「ごめんねケビン。ココア甘すぎたね」

 笑いながら語りかけてくる姉に、ケビンは返事をせずにカップを煽った。たまに文句を言う

が、ケビンは決してミシェルの淹れたココアを残したりはしない。

「今日は冷えるね〜……」

 ミシェルはココアを飲みながら曇った空を見上げる。昨夜は雪など降らず、満天の星を拝む

ことができたのだが、今日はこの雲のせいで星どころか月さえ見ることができない。

「寒いなら暖炉の側に寄りなよ、姉さん」

 ケビンが読んでいた雑誌を膝に置いて眼鏡を外した。ココアの湯気で少し曇ってしまったレ

ンズを磨きながらミシェルの方を見る。けれど、ミシェルは弟に曖昧な返事をしながらまだ夜

空を眺めていた。ケビンは溜め息を吐きながら読みかけていた雑誌に視線を戻した。

 最近、ミシェルは暇さえあれば夜空を見上げている。以前は月が見えるだけであんなに嫌

そうな顔をしていたと言うのに……。

 姉は今は月を怖がらない。それどころか、最近は月夜の散歩というものまで始めたのだ。

吸血鬼である彼女が他の吸血鬼に襲われることはないから、ミシェルは自分から好んで散歩

に出かけていた。

 それだけミシェルが成長したということなのだろうが、ケビンはどうも腑に落ちない。月が苦

手だった姉は、夜はいつも自分の話し相手になってくれていた。それなのに今は自分より月

を見上げる時間のほうが多いのだ。ハッキリ言って、つまらない。

 ケビンは遣る瀬無い思いを抱きながら一気にココアを飲み干した。姉好みの甘いココアは

ケビンの舌をおかしくしてしまいそうなほどだ。けれどケビンはほとんどヤケになってココアを

飲んでいた。そうでもしないと、姉を繋ぎ止めておけないような気がしているのだ。

「あ」

 その時、窓の外を見ていたミシェルが小さく呟いた。

「どうしたの?」

 ケビンが尋ねると、ミシェルは嬉しそうに目を細めながらケビンを見た。

 ……嫌な予感がする。ケビンは何となくそう察してしまう。そして、その予感は見事に的中し

てしまうのである。

 頬を赤らめながら、ミシェルはテーブルの上にカップを置くと、小走りでドアの方に向かう。

ドアを開けると、思い出したように窓の外を指差す。

「アナン君だよアナン君。久しぶりだなぁ、何ヶ月振りだろう? 玄関まで迎えに行ってくるね」

 そうとだけ言い残すと、ミシェルはさっさと部屋を出て行ってしまった。一人部屋に取り残さ

れてしまったケビンは、右手で軽く頭を押さえた。

「アナンか……畜生どうしてこんな時に来やがるんだアイツは……」

 舌打ちをしながらドアの方を睨みつけると、しばらくしてドア越しにミシェルの楽しそうな声が

聞こえてきた。そして、その間に聞こえるミシェルとは違う男の声。その声を耳にし、ケビンは

僅かに眉根を寄せた。

「……それにしても、本当に久しぶりだね、アナン君」

「ホントですよね。俺もできればもっと来たいんですけど最近仕事の依頼が多くて困ってるんで

すよ」

「いいな〜。私達なんてたまにしか仕事が来ないから暇で暇で仕方がないよ」

「いやいや。ミシェルさんみたいな美しい方に狩人の仕事なんて似合いませんよ。ちょうどいい

じゃないですか」

「あははっ。相変わらずうまいね、アナン君」

 再びドアが開けられ、ミシェルが部屋の中に入ってきた。そしてミシェルの後ろに続いて一

人の男が姿を現す。

「よっ、ケビン」

 人懐っこそうな笑顔を見せた、濃い茶色の髪と目をした青年。軽く片手を上げ、ミシェルの

脇をすり抜けてケビンの方に歩み寄る。青年が歩くたび、彼の首に掛けられたネックレスが

音を立てて揺れた。その銀細工のネックレスについている宝玉は、4つ。

「久しぶりだな、アナン。仕事が捗ってるみたいじゃないか」

「まぁな。ま、お前ほどじゃねーけど?」

 軽い笑い声をあげながら、ケビンの隣に座る。馴れ馴れしく肩をバンバンと叩かれたが、不

思議と嫌な気分はしなかった。

「で、今回はどんな仕事だったんだ? アナン」

 ケビンも先ほどまでの不機嫌な気持ちを掻き消し、口元に笑みを浮かべた。何だかんだで、

こいつは嫌いではない。

                                                        

 ……アナン・ゴルト。22歳。

 ケビンとミシェルがこの街で始めて出来た「人間の友達」である。

 今と変わらない人懐っこい性格。ミシェルを吸血鬼だと知った時も、街の人間達とは違って

彼だけが別に怖がったりはせずに2人と接していた。そして、ケビンが狩人になると言い出し

たその時、

「じゃ、俺もなるわ」

 と簡単に言ってのけた。

 その後、ケビンがいくら止めてもアナンは「ま、なんとかなるって」と軽快に笑いながら本当

に狩人になってしまった。

 それからのことは……彼の銀細工のネックレスが全てを物語っている。

                                                        

 ケビンはアナンには感謝していた。

 アナンがいるだけで、ミシェルが笑顔を見せる回数が随分と増えたのだ。

 元々そんなに笑う少女ではなかった姉だったが、アナンの明るい性格のおかげでこの街に

来てからは本当によく笑うようになった。その点に関しては、本当に感謝している。

 ……けれど、どうしても許せないところがあった。

「あ、アナン君。ココア飲む?」

「飲みます飲みます。ミシェルさんが淹れてくれるのなら俺何でも飲みますよ!」

「アナン君は甘いの平気だったよね?」

「むしろ大好きです」

「じゃあ、ミルクと砂糖たっぷり入れてくるね」

「お願いします!!」

 深く頭を下げたアナンを見てクスクス笑いながら、ミシェルは空になったカップを持ってキッチ

ンの方に姿を消していった。その後姿をアナンはじーっと眺めている。

 やがて、ドアが閉じられてから

「……やっぱいいよな。ミシェルさん」

 そう、溜め息を吐きながら呟いている。

「いいよなケビンは。あんなお姉さんと一緒に暮らせてるんだから」

 心底羨ましそうにケビンを睨みつけ、アナンはもう一度溜め息を吐く。そんなアナンを横目に

見ながら、ケビンは違う意味で溜め息を吐きたくなってしまう。

 ……そう、アナンはミシェルに好意を寄せているのだ。

 しかも彼はそれを決して隠そうとしない。元々隠し事が苦手なタイプなのだろう。いつもオープ

ンに自分がミシェルを好きなのだとアピールしている。ケビンはアナンのそこだけが好きになれ

なかった。

 まぁ、ミシェルはいつもアナンのアピールが冗談だと思っているのか、ほとんど受け流している

のがせめてもの救いだ。

「なぁケビン。今度ミシェルさんの誕生日だろ? ミシェルさん何を欲しがってる? 俺何でもプ

レゼントしてやれるぜ」

 ケビンの心情など察することのできないアナンは、一人で勝手に盛り上がって話を進めてい

る。ケビンは読んでいた雑誌を閉じるとそれを丸めてアナンの頭を殴る。

「いてっ! 何すんだよケビン!」

「うるさい。少しは黙れ」

「だからって殴らなくてもいいだろうが!」

「俺が殴りたかったんだ」

 そんな、普通の友達同士のやりとりが何だか懐かしい。

 数少ない人間の友との久しぶりの再会に、やはりケビンも喜びを隠すことはできないでいた。

 それからしばらくしてココアを持ったミシェルが部屋に戻ってきて、三人で改めて再会を祝い

あった。

                                                         

 ……だから、ミシェルは気づかなかった。

                                                         

 窓の向こうの雲が割れ、大きな金色の月が顔を出したことに。

                                                         

 

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